アケビだのツルウメモドキだのビナンカズラだのは林の周辺部に生えます。つまりあまりにも藪になってしまうと、日照が不足して生育できないのです。かといって全部木を切り倒してしまうと、なにせカズラですから絡む木がなければ文字通り立ち行くことができません。「林の端の適度の日差し」が必要で、それは簡単なようで確保するのがなかなか難しい条件です。
近年「山の手入れをしろ」とか「里山の保全を」とか、よく耳にするようになったのは、まさしくこの「林だけれども地面に適度な日照が届く条件」を確保せよ、ということです。いらない木を間引き下草を払うことによって、常に林の下部の植生が活性化され木そのものも健全な育成がなされるというわけです。その木の根こそが降水を溜め、山の土壌が崩壊するのを防いでくれる。人工的にコンクリートで固めた土壌よりはるかに耐久性があり、なおかつ合理的で環境にも良く長い目で見れば安価である。・・・・・わかっちゃいるけど山の手入れはたいへんで、なかなかすすまないのが実態であります。
「とりあえず、自分ちの周りの畑からなんとかせねば。」と父が病気の間に藪になってしまっていた畑を手入れしだしたわけですが、おかげさまで(鶏やヤギの手(口?)も借りつつ)だんだんどうしようもないジャングル状態から抜け出つつあります。その結果がツルウメモドキの繁茂でありアケビの花でありましょう。秋の実りが今から楽しみなのであります。
アケビの茎は「木通」といい、腎臓炎や尿道炎、膀胱炎からくるむくみに効きます。
ツワ、おいしいです。鹿児島の春の使者です。でもね、関西に出てたまがった(びっくりした)ことに、よそじゃツワを食べないんですよ。「あげな、うまかものを、なんごて喰わんとか?!」ショックでしたね。カルチャーショック。蕗は食べるくせに、ツワはゲテモノ扱い。くっしょおおおお。当時、ニガウリもゲテものと思われてましたが、今や「ゴーヤ」として市民権を得ましたね。家から送られてきたニガウリを気味悪がってもらわなかったやつ、後悔していることでしょう。
ツワも偏見なしで食べれば、よその人にもおいしいはずなのですが、今は「どうせ遠くに運んでも鮮度が落ち風味が落ちるだけだもんな。土地のもんが『うんまか、うんまか。』と食べてりゃいいや。あえて食べるとなら、来ればよか。」と思います。自分の足を動かさず、手も動かさず、おいしい思いをしようってのがずうずうしいっての。
鹿児島県人なら誰もが知ってる「かからんだんご」を包む「かからん葉」のツルです。これを我が畑に挿し木して、「かからん葉庭からとり放題」にしようという野望に燃えています。早速二芽ぐらいの挿し枝をたくさん作って、バケツの水に漬けてあります。明日はこれを「いかにもサルトリイバラが生えそうな所」に挿して廻ることにします。ふっふっふっふっふ。
かからんだんごは大好物です。でも、あの葉っぱがなかなか手に入らず苦労していました。条件が合って1本でも根付いてくれるといいな。
車に乗せて運ぶ間も、ツルからか実からかほのかにいい香りがしていました。かからん葉もいい香りがするもんな。鹿児島県人には、「柏餅」より「かからんだんご」だもんな。
根っこはおできの薬や利尿剤になるそうです。
舗装してない道路ならどこにでも生えているおなじみの草です。全草を「車前草」、種子を「車前子」といい、咳止めや利尿剤に使います。葉ははれものの湿布に使うと。
この生薬名の「車前草」とか「車前子」とかいう名前を見るたびに、「ああ、この名は中国から来たんだなあ・・・」と思いますね。
日本の歴史では、平安時代の一時期だけ牛車を使っていましたが、それ以外に「馬車」とか「牛車」とか「下部に車軸と車輪をつけた箱を、人力以外の動力で動かす」車を「人間の移動に使う」という文化は発達しませんでした。せいぜい農作業用やごく一部の輸送用の車に使われた程度でしょう。今や「自動車王国日本」となってしまったのですがその歴史はたいへん短いのです。
比べて中国は、すでに殷・周時代には簡単な馬車が存在し、司馬遷の「史記」など読むと、戦国時代にはあらゆる思想家だの食客だのが、馬車に乗って広大な中国大陸を縦横無尽に駆け巡っています。ざっと考えても3000年前には馬車とそれが走るべき道路が、存在しておったわけです。日本はまだ縄文時代もいいところなのに。まあ、それでは「東倭(東の野蛮人)」とか言われても仕方なかったかもね。(その黄河文明がやりすぎて森という森を切り倒して荒れ果てた黄土高原にしてしまったのだから、どっちが良かったかはわからんのですが。)
とにかく「車」とうものにたいへん古くからなじんでいる文明でないと「車前草」とか「車前子」とかいう言葉はでてこないでしょう。この「車前」という言葉で連想するのは、史記の中でさんざんでてくる「車裂きの刑」。両手両足を縄でくくってそれぞれ4台の馬車か牛車に繋いで、罪人を4つに引き裂いてしまうというあれ。怖いよ――。日本人はその手の車を持たないので、その発想はでない。だからより恐ろしく感じてしまう。
もちろん「どちらが残忍な民族性か」などというくだらないことをいうわけではなく、「言葉」とか「文化」とかはベースとなる社会の持つ技術(文明ってやつかい)に大きく影響されるものなのだなあ。といいたいわけであります。
「八重むぐら 茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」百人一首の恵慶法師の歌です。
もう春は目の前だというのに何秋の歌なんか引っ張り出しとるんじゃ、とお思いでしょう。実にその点が長年の疑問でした。
今のこの「ヤエムグラ」は秋に茂ったりはしないのです。せいぜい芽が出る程度で、春になってからひょひょ~~~んと伸びるタイプの草なのです。ハコベなんかと一緒でこれからが最盛期、はびこって往生するのですがそれは決して秋ではありません。
「おかしいなあ、ヤエムグラ茂れる宿なんか秋にはないぞ。」
謎が解けました。恵慶法師が歌ったヤエムグラはカナムグラという似ても似つかぬ別種の草でした。はああ~すっきりした。しょうも無いことなんですが、植物の名前には神経質になってしまいます。誰しもがそれなりにこだわりはあるということですね。
この春のヤエムグラは文字通り茎から車輪のように6~8枚の葉がでていて、しかもその裏にひっつきやすい毛が密生しているので、そのままちぎってセーターにひっつけて「勲章」とか「ブローチ」とかいって遊んだものでした。
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