日本の男は三国志が大好きだよなあ。それも諸葛孔明。実は中国じゃ関羽のほうが受けてて、水滸伝のほうが読まれてるっていうし、なんだか国民性というか遺伝子に深々と刻み込まれたもんがありそう。
これいうと怒られるけどそもそもの話のはじめが、いい年こいたヒゲ面の男三人が桃の花の下で「あたしたち死ぬ時も一緒よ、ね~~♪」などと誓いを立てるという。なんかもう「ホモホモ天国一直線」なオープニングだし。結果腐女子フォロワーが絶えることないってのが現実。三国志好きのおっさんは絶対この現実を見ないけどね。
それから後も怒涛のような「オトコとオトコの愛と憎しみの連鎖」が延々と続くわけよ。
劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」から始まって、曹操は「人妻に執着して振り回される成金オヤジ」のごとく関羽にふられ続け、劉備は劉備で孔明に3回もプロポーズして手に入れたら文字通り「一緒に床について」いる有様(これほんとうに三国志に書かれてんの)。孔明は周瑜にもしつこくストーキングされてて、もう周瑜極限の愛憎で半狂乱。
日本の男が孔明好きなのは、男にこういうふうに執着され愛されたいからじゃねえの?
だいたい孔明ってさ、言動のいちいちが女性的というかおばさんっぽいというか。
周瑜に「三日のうちに三万本の矢を用意しろ」と言われて取った作戦が「リサイクル矢拾い作戦」。お前はエコロジーおばさんか!「この愛を成就するには殺すしかない」と思い込んだ周瑜の罠から逃れるのに使った手は、「赤壁に東南の風を呼んでみせる」とヒキタテンコウ並みのハッタリとイリュージョンをかました脱出ショー。「葉っぱも根っこも食べることができるから」と蕪を自軍に植えさせ(おばさんっぽい~)、劉備亡き後に書いた「出師の表」は連綿と女々しく、姜維の可愛がり方はまるでお母ちゃん。死んだ後も「生ける仲達を走らした」のは自分のフィギア。つまりお人形さんごっこ。それともオタク?
こういう一種几帳面というかせこいとこ、日本のサラリーマンは共感できるんじゃね?んで、それを見も世もなくオトコに愛されたいという。
・・・・・・・とかなんとかミソクソにいいながら「レッド・クリフ」見たいなあ。金城武=諸葛孔明にトニー・レオン=周瑜、メガホンは「男たちの挽歌」のジョン・ウー。いや~ん。期待しちゃう。
んでもって「太陽の黙示録」(かわぐちかいじ著・小学館)。「近未来大地震パニックマンガ」に見せかけた、もろ三国志焼き直し。かわぐちかいじ、お前もか。さすがにおもしろいけれど。
グリム兄弟の説話集は「さすがゲルマン、肉食民族なり」と心底納得させてくれるグロとスプラッターのオンパレードです。
「灰かぶり」のお姉さまたちは、靴に合わせて踵やつま先を切り落として、馬車の中に滴り落ちる血で偽者がばれ、「スノーホワイト」のママハハ后はラストに焼けた鉄の靴を履かされて踊り狂い死ぬ。「白鳥の王子」の末の妹は墓場のイラクサで血みどろになりながら上着を編み、「ラブンツェル」の王子は塔から魔女に突き落とされていばらのとげで目を潰す。
そう、いばら。これなあ。「いばら姫」はもろに「いばらの城」で百年の眠りの呪いをかけられてるわけだけれど。知ってました?例の「キスして起こしてくれる王子様」の前に、何人もの男達がいばらに阻まれて、それどころかいばらの垣に囚われて、そのまま死んでしまった、っての。
怖いねえ。
初めて「グリム説話集」の完訳版を読んだとき、10代後半の生意気盛り「ケッ。たかだかいばらの刺くらいで大げさな。やっぱおとぎ話」とか思ってたけれど、最近じわじわと怖くなってきたんだな。
人の体は「たかだかいばらの刺」でも簡単に傷つく。目なんか突いたら簡単に潰れる。何年も何十年も人の手が入ってない野イバラやグミのような有刺植物のブッシュにはマジで入れない。うかつに足を踏み入れると四方八方から鋭い刺に容赦なく突き刺され、衣服も髪も揉みくちゃにされ、もがけばもがくほど囚われていく。本当にそうなんだな。
いや、たかだかうちの畑のグミを切り払ってて、思ったんだけれどね。あまりの手に負えなさに、ちょっと恐怖を覚えたんだな。手なんか軍手をしてても刺が立った痕だらけ。これがまた痛いんだ。
中世のドイツには「何百年も人の手が入ってない野イバラのブッシュ」が広大な森のそこかしこにあったのかもしれない。そこにうっかり迷い込んだ人間が出るに出られず衰弱死した死体、なんてのがゴロゴロしてたのかも。あたかも富士の樹海のように。
その伝承が何百年も伝わりグリム兄弟の耳に入って、こんな形で残されたのかも。
広大な「黒い森(シュヴァルツヴァルト)」の中のこれまた先の見えない一面の野イバラのブッシュ。刺に引っかかって風に揺れる古い人間の衣服と白骨。森が終わるときまで誰に省みられることもなく揺れ続ける・・・・・・・・・・
ねーーー?ちょっと怖いでしょ?
こういう細かい設定が「本当にあった」ことかもかもしれないのなら、他のいかにも残虐なグロシーンの数々も「本当にあった」のかも・・・・・・・と思い至り、さらに怖くなってきたのでありました。
「○ののけ姫」が嫌いです。いや、正確には「理解できない」かな。どうしてもあの森が日本の森とは思えないし、もちろん日本の中世にも見えない。なにより登場人物の心情に感情移入できない。
都会のエアコンが効いたスタジオで人生のほとんどの時間をお絵かきに費やした人が、お仕着せの旅で日本の森や山を巡っといて資料を集めて描いた森に見える。「なめんじゃねえ!」と啖呵をきりたくなるよ。
「日本の中世の森はもっと豊かで、もっと自分の魂にダイレクトに響く記憶を抱えているはず。」
ずっとそういう話が見たいと思っていたら、やってくれました上橋菜穂子氏。「守り人」シリーズがあまりにも見事だったので、著作を全部読んでみたらば、つきあたりました「狐笛のかなた」(理論社)。
やっぱりこれも児童文学の範疇を遠~く超えてしまってます。
種を超えたラヴ・ローマンス!霊狐・野火と呪者の娘・小夜の恋は、くるよくるよダイレクトに。自分の無意識の中に蓄えられた記憶に。「ああ、日本の森は、自然は、こういう恋を成立せしめるほど曖昧で優しく豊かであったのだなあ・・・・・・」と。
野火がね。よくってね。「守り人」のチャグム皇子もそうだったけど、上橋氏ってどうしてこう「自分ではどうしようもない宿命に耐える少年のストイックな色気」を描くのがうまいんでしょう!主に逆らい自分の命をかけて小夜を守る美しく力ある狐。いいよなあ。
こういう狐となら恋にも落ちようし、彼を助けるために狐笛を吹いて人の世を捨て、人の領域ともカミの領域とも知れぬ森の「あわい」に身をやつして後悔は無いでしょう。かわいい子狐ちゃんも産まれて三匹で春の野を楽しそうに駆けていくラストシーンは、たまらん。
泣かせるぞ。
「螺鈿迷宮」。最近お気に入りの海堂尊の白鳥・田口シリーズの番外編です。
番外編とはいえ、今まででてる中じゃ一番身につまされておもしろかったなあ。危険な書だ。
なんと言ってもね、悪役の桜宮病院のメンバーが魅力的過ぎてさ。「死にたいやつは死なせてやれ」と嘯く戦中派(軍医経験アリ)の巌院長からして「うんうんそうだそうだ」という説得力満載。
そう「死にたいやつは死なせてやれ」。わたくしもそう思います。無理やり生き延びさしてなんとする?「生きてるってすばらしい」と思えることができないやつに何の権利があって生きることを強要する?
寝たきり認知症の祖母の介護を5年しました。その間祖母は「死なせてくれ、殺してくれ」と数限りなく訴えていました。でも殺すことはできなかった。日本の法律がそれを許さないから。
それについての実に魅力的な解決法を「闇の桜宮病院」が提示してるの。法律でなく「黄泉の女王」が支配する世界でのみ有効な手段だとわかっていても、とてもとても心魅かれる手立て。ううううん、ほんとうに危険だ。
向こう側が闇に霞んでしまうほど並べられた解剖臓器入れの青いバケツのイメージといい、永遠に続く螺鈿細工の壁の部屋のイメージといい、ひんやりと冷徹でありながらとても清潔。
白鳥が巌院長を評したセリフ「巌先生は桜宮の闇を支えてきたんだね。それも極めて誠実に」というのが良かった。強い光の影には濃い闇ができる。生きるってのはそういうことだもんなァ。重いテーマをよくここまでわかりやすく書いてくれたよなあ。
あと、白鳥の部下、氷姫・姫宮が大活躍!一見アニメのフィギアかサイボーグみたいな美形なんだけれど、これがまた出来損ないのサイボーグみたいな一般人とはズレまくった挙動の数々、一見の価値アリ。全体的に暗いトーンで貫かれた本作の中で、姫宮の明るくド外れた破壊力はすごい!よくこんなキャラ思いつくよなあ。いつもいつも思う。「こんな連中の棲息・出没を許す大学病院てどんなとこよ?」
シリーズを読んでない方にもお勧め。この本から初めてもよし。おもしろいぞお!
まだ子供の頃、一冊の本、一枚の絵、一本の映画、なんでも感動してしまうと「もうあたしの一生でこれ以上感動することはない。もう心は動かない」などと浅はかにも浸ったりしてました。あたかも「初恋の人が永遠の人。もうこれほど誰かを愛せない」とガキンチョが初めての恋に酔うように。
現実には人生それほど捨てたものでもなく、年を経たら経た分だけ、そのときにふさわしい「夢中」が必ず待ってるものでして。ありがたいよなあホント。その気になれば絶対に退屈することはありません。生きてる限り心もまた動くものなのです。
なんちゅうて、最近は海堂尊にはまってるもんで気取ってみました。「田口・白鳥シリーズ」第二弾「ナイチンゲールの沈黙」(宝島社)でございます。
第二弾にもかかわらず大傑作!
も~~~、ありとあらゆる要素が詰まっててジャンルわけ不能。あいかわらず架空都市・桜宮市の大学病院が舞台なんだけれど、大学病院って・・・・・・・・ホントにこんなに愉快なとこなの?
愚痴外来の田口絶好調!ってことはあいかわらずぬらぬらヒョンヒョンの昼行灯ってことですけどね。それにもまして白鳥絶好調!つまりゴキブリぶりに磨きがかかってるってことで。プラス今回むちゃくちゃ登場人物増えました。それもどいつもこいつもキャラ立ちまくりでカッコいいやつばっかり!それにしても海堂氏、いったいどういう交友関係をお持ちなのでしょう?前作でも思いましたが、こんなやつらばっかり身の回りにいたら胃が持ちません。
ざっとあげてくだけでも、強烈アル中の伝説の歌手水落冴子でしょ、元医学部のその変態マネージャー城崎でしょ、田口の同期がまた強烈、放射線科の世界的権威で「がんがんトンネル魔人」島津でしょ(あたしの大好き職人タイプ)、救急救命部の将軍速水でしょ(からりと笑うカッコいい!)、看護師がさらに強烈「眠り猫にして千里眼」猫田師長(こんな看護師長ありなの?いつも居眠りしてるのよ。でも多士済々の今回の話の中でも一番好き)、おまわりさんも出てくるよ警察庁キャリアの「デジタルハウンドドッグ」加納でしょ(これまたむちゃくちゃカッコいい)、加納に振り回されてお遍路に飛ばされそうなその部下玉村でしょ、これに加えて鮮烈な不良少年(しかも両目摘出の手術を受けなきゃいけない)瑞人でしょ、白血病の美しくクールな白雪姫由紀でしょ・・・・・・・・他にも他にもたくさんでてくるのに、キャラが明快に書き分けられてお話が論理的に進められてるので、ものすごくわかりやすくおもしろいの!
そしてここんとこが肝心なんだけれど、海堂氏って基本がギャグマスターでユーモラスなんだわ。深刻なシーンにもそこかしこにお笑いを散らばめずにはおれんらしい。笑えるんだってば。
特に小児科の子供たちに人気という設定の架空シリーズ「ハイパーマン・バッカス」の話にはバカ受け!なんでこんな下らんこと思いつくかなあ!しかもこれほどシリアスな設定の深刻な話なのにこんな贅沢なお笑いを乗っけることができるかなあ?
大笑いして・・・・・・考え込んで・・・・・・・最後には感動の嵐。
すごいよ~~このシリーズ。これまた絶対お勧め。本好きはぜひこれを読むべし。
これずっと読みたかった本なんですよ!実は半年前から市立図書館に予約を入れてたんですが、待てど暮らせど順番がまわってこない人気ぶりに豪を煮やしておりました。したらばなんと文庫が古本屋に出ておりましてな。「してやったり!」と早速購入。
期待を裏切らぬおもしろさ。無我夢中で読みましたですよ!
著者・海堂尊氏は現役勤務医、大学病院の内実がそれはそれはリアルに事細かく描かれています。もちろんそれはおもしろさの重要なバックグラウンドなんですが。でもなによりかにより、登場人物です。出てくる人出てくる人、それはそれはもう立ちまくりのキャラばっかり。大学病院て、どこの大学病院もこんな強烈な医者や看護師ばっかりいるんでしょうか?わたくし今まで大学病院も普通の病院も入院したこと無いもんでわからないんですけど。なんか凄いですよ。
主人公にしてワトスン役の「愚痴外来」担当の万年講師、田口公平。本人はどうやら自分を常識的な平和主義者みたく思っているらしいですが、なかなかどうして大学病院みたいな魑魅魍魎跋扈する魔窟で、あくまでマイペースを貫き通し「出世に興味なし」のスタンスを取りながら結局自分の欲する場所を確保するしたたかさはかなりのもの。
見た目はタヌキ性格はもっとタヌキな高階病院長や、田口を愚痴外来で補佐する定年再雇用の地雷原藤原看護師といった年経た妖怪たちのキャラも凄いけど、やっぱホームズ役の『火喰い鳥』白鳥圭吾よね~~。こんな強烈なキャラ初めて見た。なんせ初めて白鳥を見た田口が持った第一印象がゴキブリよゴキブリ!!「擬音語で『ギトギト』、擬態語で『ツルン』」「頭のてっぺんからは、細くて長い触覚が出ていて、ゆらりゆらり」「つややかに黒光りするゴキブリ」などと言いたい放題のご丁寧な描写。んでもってこの白鳥が厚生労働省の第一線のキャリアなのだから世も末というものだわ。別名「ロジカルモンスター」。とにかくあちらこちら行くところなすところトラブルだらけ。「イヤもう、なにこれ!」としか言いようのないキャラなんだけれど、もう目が離せないの。
なにこれ?作者の知り合いにひょうっとしてこういう人いるの?ほんとにそばにいたらストレスで胃に穴開くわきっと。
お話はある地方国立大の大学病院で、花形助教授率いるバチスタ・チームの手術で不審死が続いちゃって、その内部調査を田口が始めるところからなんだけれど、もう、息をつかせぬおもしろさ。
思いもよらぬ展開、そして大どんでん返し!
あまりの事に思わず立て続けに3回読み返し、続編の「ナイチンゲールの沈黙」「ジェネラル・ルージュの凱旋」さらには「螺鈿迷宮」に「ブラックペアン1988」まで、読んじゃったよ。
シリーズを読めば読むほど「あれとあれがこう繋がって」「あの人とあの人がこういうつながりで」と緻密に構築された世界観が明らかになってきて、「うわ、まだまだ読みたい!このシリーズ」と禁断症状がでてきちゃいます。危険だわこの本。+++++++++++++
去年の年末からこの一年の間に、今まで「児童文学」とされてきた分野のいずれ劣らぬ傑作三作を立て続けに読むことができました。
「バッテリー」「守り人シリーズ」そしてこの「一瞬の風になれ」(全3巻・佐藤多佳子著・講談社)です。
もう「児童文学」とかのジャンル分けなんかホント無意味。一昔前のイメージは「澄んだ眼をした恐ろしく素直な少年少女が、すさんだ大人の心を解きほぐすお話」とか「戦争で苦労する話」とかそんなんばっかりだったのですが・・・・・。もう、ぜんっぜん違う。
この「一瞬の風になれ」にしたって、「子供が、大人が」と読む人を選ばない。ものすごくおもしろい。主人公の新二がすごくいいやつで、ジャンルを問わず久々にこんな素直な主人公をみました。といっても見た目は髪の毛まっきっきの陸上部員だけれど。いまどき髪の毛黄色いのに意味なんかないしなあ。
新二のお兄ちゃん健一がサッカーの天才で、親友の連がスプリントの天才。男の子が身近にこんな二人の天才を抱えてたら普通ぐれるよ。
なのに新二ったら、むちゃくちゃ素直に少しづつ少しづつ自分の心と体を鍛えていって、ついに連と100mを競えるぐらいに成長していくの。もおおおおお、その素直さったら。思わずこちらの背筋も伸びちゃうぐらい、真摯なの。でも、ストイック一本やりじゃないの。ちゃんと周りに目配りができて、人に気も使えるの。なんてったって部長になっちゃうぐらいだから。ホントいいやつだなあ、新二。
この作品が「陸上」がテーマと聞いて、ありがちな、もっとガチガチな天才くんが悩み苦しむ話かと思ってました。だって陸上だし。ぜんぜんそうじゃなかった。どちらかというと普通のセンスの持ち主の主人公が、いまどき珍しいぐらいの普通の努力で、自分の肉体に自分の望む能力をつけていく話でした。なんという、すがすがしさよ!
100mだけじゃなくて、どちらかというと「4継」と呼ばれるリレーがメインのようにでてくるんだけれど、これが個人競技の陸上の中では唯一のチームプレーなのね。んでこのリレーが読んでてものすごく興奮するんだわ。手に汗握りますよ。リレーのバトンワークの話とか。チームの人間関係がモロに走りに影響して、単純な4人の100mラップの合計よりはるかに早くなったり、遅くなったり・・・・・・・。「最強の4人」を集めたからって「最強のチーム」ができるわけじゃないんだよね。当たり前だけど。
脇のキャラもとてもよし。400m専門なのにリレーにでるため黙々と朝連をする根岸とか。強豪校のライバルで、レース前に必ずべちゃくちゃしゃべらなきゃ気が済まない高梨とか。でも、一番は三輪先生。元ヤンキーだったのが更生してなぜか陸上。でも無理して故障。母校の陸上顧問になるんだけど、この先生のいつもはのんびりしてるのにいざというときビシッと決める強さがいい。いい先生だよ~~。
いやあ、今年もいい本に次々当たり、いい年でありました(ちょっと早いけれど)。どうぞ、みなさまもこの興奮とさわやかさを味わってください。必読ですぞ。
「守り人シリーズ」の最終話、「天と地の守り人三部作」(上橋菜穂子著・偕成社)です!
ああ~~~ッ、読み終わってしまったよ!予約を待っているのは長かったのに読むのはあっという間だったよ。
ラストまで期待を裏切ることのないすばらしい話でした。ああ、もう褒める言葉が足りない。
バルサがタンダがチャグムがトロガイがシュガが、ジンや帝やラウルやアスラやチキサなんかに至るまで、でてくるもの皆が収まるべき場所に収まりました。なんと言う感動。
とうとうバルサがタンダを「つれあいだ」と認めました。壊疽を起こして瀕死のタンダを必死で介抱するバルサ。そして回復したタンダ、とこの物語でははじめての静かなくちづけ。ああ、こんな心にしみる愛の表現は久しぶりでした。よかったね、バルサ、タンダ。
そしてなによりチャグム。「精霊の守り人」のときのガキンチョが、こんなに成長してしまうとは。ほんとうに苦労したんだよね・・・・・・。「蒼路の旅人」で夜の海に身を投じての危険な夜間遠泳に始まり、ロタ、カンバルと命がけの同盟交渉、そして見事同盟を果たしてからも大国タルシュとの壮絶な戦い。こうやって母国を必死で救おうとして帰ってきたチャグムに心無い仕打ちをする父帝とその側近達。きみの苦労は涙なくしては読めません。
とうとう、なりたくもない帝になってしまうけれど、きみなら大丈夫。閉ざされた奥津城のような宮から、いつか必ず人間として出ることができるでしょう。それを予感させる希望に満ち満ちたラスト。
よかったなあ・・・・・・。
それにしても上橋氏、ファンタジーの要である異世界の世界観のイメージも見事ですが、現実の人間達の国政や国家間の連衡、交渉等についての見識や表現も見事。大国タルシュが新ヨゴに攻め入ったときが、ちょうどナユグ(異世界)の春の影響で雪解け水の大洪水が起こり、その気候をうまく利用してタルシュの軍勢を破る新ヨゴ軍。この戦略も見事。うまいこと異世界イメージと現実のバランスをとっています。
ああそういえば「大洪水伝説」って、よくいろんな民族の神話にあるんでしたね。「大洪水がすべてを押し流し浄化した後に、新たなる希望が芽生える」のは、世界中の神話にある話。文化人類学者の上橋氏のこと、もちろんそこらを踏まえてこの希望あるラストを持ってきてくれたのでしょう。ああ、言葉でこうやって語るのももどかしい。
つくづく「児童文学」というジャンル分けは無意味。この感動は子供でも大人でも、いや、大人であればあるだけ深く味わうことができるでしょう。大人にこそ読んでもらいたい。ぜひ。って、偕成社の回し者じゃないんだけれど。
次はなんと、春から予約していた「一瞬の風になれ」が回ってきました。やったーーーー!!宮部みゆき氏、あさのあつこ氏、そしてこの上橋菜穂子氏大絶賛!これは心して読まずばなりますまい。
それにしても今までの人生でそれなりに結構な量の本やマンガを読んできたつもりなのですが、まだ読まぬ本、まだ触れぬマンガというのが尽きることがありません。はっと気がつけば今までその名も知らなかった作者やシリーズにいつの間にか夢中になっています。
なんというありがたいことでしょう!母国語日本語でこれほどの量の作品を読めることの幸せ。そして本やマンガを流通させ、読ますことができる日本という国家の平和の幸せ。いいよなあ。
願わくば、下らぬ言論統制などで表現の自由が縛られることのなきよう!ヴァイオレンスだろうがエロスだろうが本やマンガやゲームである以上統制かけてどうする?というのが持論です。「リアリティとバーチャルリアリティの区別がつかない」やつは、木の股を見ても強姦しようとするだろうし、トンカチを持てば人の頭を殴ろうとするでしょう。表現を統制するのはまったく無駄な作業です。
などという能書きはさておいて、「蒼路の旅人」(上橋菜穂子著・偕成社)。「守り人シリーズ」の番外編とも言うべき「旅人シリーズ」は、わたくしひいきのチャグム皇子が主人公のシリーズ。第一作の「精霊の守り人」では、ひ弱なガキンチョだったチャグム皇子、一作ごとにどんどん成長し、どんどんいい男への道を歩いてます。
ンもおおおおン、たまらん!
「蒼路の旅人」はこのシリーズの起承転結の転部分の作品のようで、ここで「守り人シリーズ」の世界観が一気に広がり、かつ繋がって、壮大な国家論まで飛び出してきてます。新ヨゴ国の皇太子として母国の大日照りを救ったチャグムは、この巻で国家間闘争に巻き込まれて、むちゃくちゃ人間臭い政治交渉と対応を迫られております。苦労の耐えんことじゃのう。
一見ひ弱な皇太子でありながら要所要所で見せる対応は見事の一言。それでも弱小国の悲しさ、大国タルシュの虜となって母国へ護送される途中で、チャグムが仕掛けるあっと驚く大逆転の秘策とは?
わくわくするぞ~!どきどきするぞ~!チャグムのあまりのカッコよさと少年らしい危うさにくらくらするぞ~!
そして佐竹美保氏の挿絵がいい。本編シリーズの挿絵よりこっちのほうがわたしは好きだ。
とにかくお勧めの「守り人シリーズ」、ぜひぜひ皆様もお読みくだされ。
一神教というやつが嫌いです。さらにいうなら「自分を正しいと信じて疑わない」やつが大嫌いです。こういうやつの迷いの無さは、自覚のある悪党よりはるかに迷惑です。有史以来、最も多くの殺人が「神の名の下に」なされてきたのです。そして今この瞬間にも「神の名の下に」人が、殺され続けているのです。
上橋菜穂子氏の「守り人」シリーズは、ファンタジーでありながらありとあらゆる人間社会の含む問題に切り込んでいるのですが、「神の守り人」はまさしくこの問題に真っ向切り込んでいます。それも児童文学の枠内を外さず、わかりやすく過不足無く、でありながらおもしろく。なんという離れ業でしょう!!すばらしい!
あいかわらず、ファンタジーの命、世界観の構築も見事。「何十年、何百年に一度、異界から押し寄せる『恐ろしき神』を運ぶ川」のイメージ、こんなのどうやって思いつくの?!異界の見えない川が押し寄せてくるとこの世では川の光だけがゆらゆらと光り、苔が湿り始める。なんと豊かなイメージ。
異界の川の中にいる『恐ろしき神』をこの世でコントロールできるのは、『恐ろしき神』に選ばれた少女だけ。その力を手に入れた少女は自分の心ひとつで人を虐殺できるようになるのです。少女にとっての絶対正義でも、他の人々にとって決して正義ではない。それが心の奥底でわかっていても、強大な力を手に入れた少女は「殺すこと」を止められない。そして「殺すこと」を始めてしまうと、今度はその「殺したこと」に追い詰められてさらなる「殺し」を重ねてしまう。そのジレンマの恐ろしさ。上橋氏は容赦なく少女を追い詰め、「ああ、この解決法しかなかったな・・・・・」というラストにもっていきます。
そうです。「絶対正義」を標榜してしまうと行き着くところはここしかないのです。「自分は正義に則っている」というのはある種の高揚感を伴う気持ちのいい行為だったりするのですが、その気持ちよさの裏にある罠はとても恐ろしい。だから「水戸黄門」も大嫌い。あれも「葵の御紋」のもとに行われるリンチであり大虐殺なのです。
TVは前世紀の後半から人類社会を席捲しましたが、この機械をある種の神として一神教がはびこっていると思います。そういう世の中で本、しかも児童文学という一時代も二時代も前のメディア分野で、こういう作品が生まれだしているということは大変に意味のあることだと思うのです。
ひとつのシリーズにはまったら、徹底的にそれを読みつくすまでは止められない止まらない、という読書癖がありまして。まあ、でもそんな人は多いんじゃないですかね。おもしろいと「続きは、続きは?」夢中になりますね。
今、はまっているのは上橋菜穂子氏の「守り人」シリーズ。たまらん。おもしろすぎ。
さっき番外編とでもいうべき「虚空の旅人」を読み終わったところなのですが、・・・・・・・・良かったわあ・・・・・・・(溜息)。
なにせわたくしチャグム皇子びいきなので、チャグム全編大活躍!のこれはうれしさ倍増!「精霊の守り人」のときより少し大人になったチャグム。「黒い目がどきっとするほどきれいなの」と他国の王女に言わしめるほど魅力的で、なおかつ内に激しいものを秘めた少年に育ってきてます。いいぞ、いいぞ。さらにいうならチャグム皇子の学問係、星読み博士のシュガ。シュガも好きなんですよ。この主従がでてくると「出たーーーーー!!」と叫んでしまいます。
それにしても上橋氏、本業は文化人類学の学者さんだということですが、すごいよね。ファンタジーの命は世界観の構築だと思うんだけれど、その世界観にまったくの揺るぎがない。今回の舞台「サンガル王国」の設定もすごい。「海洋王国にして多島国家、先祖は海賊だった王家。かしこい王家の女たちが島守の男たちと姻戚関係を結んで成立している。」なんて設定、やっぱり現実のフィールドワークをしてる人じゃないと考えつかないよ。
おもしろかったーーーー。!!
あとは「天空の守り人」を図書館で予約しております。早く連絡来ないかな~~。首を長くして待っているところなのです。
活字やマンガに接してから映像を見るパターンがほとんどなのですが、ひさびさに「アニメを見てから原作を読む」ということをしました。それほど「精霊の守り人」はアニメもいいできでした。名作「甲殻機動隊シリーズ」のスタッフが作ってるのだから当然か。
本で読む「精霊の守り人」(上橋菜穂子著・新潮文庫)も、とてもよかったです!バルサがチャグムがタンダが、文章の中から生き生きと立ち上がってくるような気がしました。いいなあ、このシリーズ。今のところ「闇の守り人」「花の守り人」まで読んだのですが、まだまだあるので、「続きを読める」と思うだけでうっきうき♪
あ、そういえば図書館の整理期間が今日までなんだ!早く開かないかな?図書館。
それにしても「児童文学」とか「ファンタジー」とかの一昔前なら子供だましと見られていた分野が、まったく様変わりしているんだなあ。「十二国記」にしたって「バッテリー」にしたって、この「精霊の守り人」にしたって全部もともとが児童文学ですよ。しかも著者が全部女性。
語り部ってのは、古来より女性の役目なんだよな。
「椿屋敷農園」ブログをはじめた動機のひとつが、「アキハバラ@DEEP」(石田衣良著・文藝春秋)でした。もう3年半も前でしたか。衝撃でした。
石田氏の「池袋ウェストゲートパークシリーズ」も「波の上の魔術師」も「うつくしいこども」も「娼年」も好きだけれど、一番は「アキハバラ@DEEP」。文庫本になったので読み返してみましたが、やはり血沸き肉踊ります。そういやTV化、映画化されたんだったな。未見ですが。
アキハバラに集うそれぞれに欠陥を抱えた若い衆が、自分の能力とセンスと勇気を武器に、IT帝国主義の会社に戦いを挑むお話なのですが、もうね、キャラクターの設定と道具立てとアキハバラの舞台設定がいちいち秀逸で、シビれるんですよ。石田氏、これだけの派手な世界観設定をしておきながら使いこなしっぷりが凄い。一昔前なら「近未来SF」とやらにジャンル分けされてたであろう設定なのに、いまや普通の「長編青春電脳小説」。いい時代になったもんだ。
吃音症だけれど言語センスに飛びぬけたページ、不潔恐怖症だけれどデザインセンス抜群のボックス、謎の癲癇発作を持つけれどリズム感と絶対音感抜群のタイコ、絶世の美少女だけれど格闘技の天才アキラ、アルビノだけれど天才プログラマーのイズム、元引きこもり今出っ放しの法律家ダルマ・・・・・・。「今の社会に適応できないけれど、それぞれに取り柄を持つ若者たちが、力をあわせて何かを成し遂げる」お話。いいぞお!!
「人間の意思の働きを組み込んだAI型サーチエンジン」のアイデアも秀逸だし(そんなサーチエンジンがあったら欲しいわ、ほんと)、なにより彼らが作る会社「アキハバラ@DEEP」の基本方針がね、いいんですよ。
『必要以上に大きくしない。有名にならなくてもいい。小さなまま自分たちが満足いく暮らしができて同類を手助けしてあげられるくらいのぎりぎりの利益で満足する。パンくずひとつあればひと冬暮らせる羽虫のように、一生懸命でもなく、死ぬほどがんばることもなく、ゆるゆると生き延びる。』
これだ!と思いました。
細く長く無理のないやり方で淡々と商売する。もちろん利益はいるけれども大儲けを考えない。
「うちの農園の方針もこれだな。」と。
あれから3年、ゆるゆるぼちぼちの精神はあいかわらず、でもおかげさまで続けています。ありがとう「アキハバラ@DEEP」!「何かを変えたい、はじめたい」みなさまにもお勧めの本です。無理なくはじめるすべが、この本には載ってます。
ものの本によれば五官のうちでも嗅覚は最も脳の言語野から遠いのですと。そのかわり恐怖と快楽を司る場所には最も近い。つまり一番原始的な感覚なわけでありますな。
人間は視覚のみを極端に発達させたために、嗅覚が恐ろしく鈍ってしまった生物だと申します。かもしれぬ。うちの犬のモモなんかただの雑種ですが、彼女の感覚にはまったくついていけません。月も星も無い闇の夜、はるか庭畑の遠くに侵入してきた小動物の気配を、いったい彼女はどうやって探知するのでしょう?決して視覚ではない。聴覚。そして嗅覚。彼女にとって何の変哲も無い山中の空気は、さまざまな糸や平面をおりなす臭気の塊なのでしょう。その世界観、想像を絶します。
というところで「香水ーある人殺しの物語ー」(パトリック・ジュースキント著・池内紀訳・文春文庫)です。
いやーーーーーおもしろかった!昨今読んだ翻訳物の中ではぴか一でした。ちょっと前に「パフューム」というタイトルで映画化されたんですよね。でも映画を見ようとは思わないな。ネタばれになるので書きませんが、『ああ、これ映画監督なら映像化したくなるだろうな』という超絶シーンがあるのですよ。でもテーマが「嗅覚」だけにね。「映画」という「視覚最優先。ちょびっと聴覚」だけの娯楽では、どんなに優れた映像でも文章から想起する妄想の嗅覚のほうがなんぼかすばらしかろうかよ、と思っちゃうのです。
お話は革命前夜のどこもかしこもむちゃくちゃ臭い街パリに産まれた、「人間離れした超絶嗅覚を持ちながら、自分自身の体臭を持たぬ男」の一代記なのです。むちゃくちゃ文章がうまくて、「犬の世界を文章化したらかくもあらん」という説得力のある描写。思わず自分の鼻をくんくんしちゃいました。やっぱり香りってのは大事だよ。たとえ意識の上になくても、必ず無意識の中に記憶されてる。それが香り。人口香料で鼻をつぶすような真似は決してすまい、と思わされましたね。だって「色気」にダイレクトに影響するのが香りなんだもん。
構成もうまくて「おお、こうきたか~~~!」のどんでん返し。久しぶりに一気読みしてしまいました。おすすめでございます。
「いかにも」と思われそうですが「ナショナルジオグラフィック」(日経ナショナルジオグラフィック社刊行)の日本版が創刊されて以来ずっととっています。
日経は腐った会社なので金を出すのはたいへん業腹なのですが、「ナショナルジオグラフィック」と「サイエンス」を出しているので、「しょがねえなあ」と思いながら毎年4月にまとめ払いしています。なぜだ。他の新聞社や出版社はなんでこんな確実に部数を稼げそうな雑誌の版権が取れなかったんだ?
なにせ「全世界で一番売れている雑誌」。ご存知の方も実際ご自分でとってらっしゃる方も多いと思いますが、一から十まで「写真・写真・写真」の雑誌です。それも世界でもトップレベルの。しかも辺境とか紛争地域とか「まーず一般人では行けませんなあ」という場所の写真がふんだんに。
アメリカが力を持ち始めた前世紀初めに創刊されて以来、世界中のありとあらゆるところに特派員とカメラマンを送り続けて撮り続けた記録と写真を持っているから、その百年分の記録も参照しながら、「いったいどうしてこうなったのか?」をヴィジュアルで見せてくれる。人間てのは(ちゅうかわたくしは)たいへんヴィジュアルに弱いので、写真で「こうだ」といわれると「ふーん、そうなのか!」などと簡単に納得してしまいます。我ながらまったくもっていい「お客さん」です。
学術的な文章を読む根性はない人間に、ふんだんな写真でもっともらしいことをわかりやすく書いてくれているナショナルジオグラフィック。「自分はこれを読んでいることでさもしいインテリ意識を満足させているんじゃないか」というジレンマに陥ったりするのですが、どうにもとるのを止めることができません。
・・・・・・・とまあ、考えてもしょうがないことをうじうじ悩むより、「うわああ、きれいな写真だなあ!」と素直に楽しもうかい。いや、ほんとうに写真がすばらしいのです!
父が植木屋なもので(いまや休業状態ですが)、小さなころから毎月うちには「サカタのタネ」から「園芸通信」と「家庭園芸・春」と「家庭園芸・夏秋」が来ていました。
日本の種・苗屋の第一人者「サカタのタネ」が全力で開発している新品種がいち早く載っている優れもののカタログです。眺めているだけでワクワクします。
たとえば「香りを楽しむバラ」の欄を見ると「楽園(品種名)。光沢のあるオレンジ色とフルーティーな香りがすばらしい、剣弁高芯の大輪花。春から秋まで、安定した花色を保ちます。(花径約12cm/直立性/樹高1.2~1.5m/強香)」とか書いてあるわけです。それでもって美しいオレンジ色のバラの写真が載っているわけ。
どうです?思わず自分ちの庭に美しく咲き誇り、春から秋までプンプン香りを漂わせるバラの花を想像してしまいますでしょ?曲者なんですよ、このカタログは。
「トマト」の欄を見ると「こんなに甘くて、おいしいトマトは初めて」と煽り文句がついていて「アイコ ミニトマト(品種名)。家庭菜園で大人気のプラム型ミニトマトです。愛らしい形と群を抜くおいしさ!酸味が少なく、口の中に甘みが広がります。肉厚でしゃきっとした食感。皮も割れにくく、作りやすさも折り紙つきです。極早生種 平均果重18~25g」ときたもんだ。ご丁寧に欄外記事に「たくさん採れたらドライトマトがおすすめ」とドライトマトの作り方が載っていたりするわけです。
ねーーー?たまりませんでしょ?
珍しいフレンチ野菜とか中華野菜とか外国ものの野菜もいち早く取り上げてくれるし、本当に優れもののカタログなのです。
もちろん「サカタのタネ」はネット販売もやっているし、いまや自分もネットで注文するわけですが、このカタログはやめられません。ネットにはない紙のカタログにはカタログの良さがあるんだよなあ。
「ローラ・インガルス・ワイルダーの物語」は有名ですが、一番好きなのは番外編ともいうべき「農場の少年」(福音館書店・恩地三保子訳)です。それもガース・ウィリアムズの挿絵つきのやつ。ガース・ウィリアムズは動物の絵のうまい人で、この表紙の子牛たちの絵にガツンとやられました。ばりかわい――――♪
「農場の少年」はのちにローラの夫となるアルマンゾの少年時代の話なのですが、まあ、出てくる食べものという食べものがそらまあおいしそうで。今のアメリカの姿からは想像もつかない古きよき時代のアメリカ。
本編ともいうべきローラの家族の話は結構深刻な貧乏の話で、飢えがまじかに迫る話もリアルで読むのが辛かったりするのですが、この「農場の少年」は徹頭徹尾豊かな農場生活の一年が描かれていて楽しい。
そしてやっぱり挿絵だなあ。ガース・ウィリアムズの挿絵を使っているのは福音館書店だけで、ハードカバーだけだったのが新書版がでて「ちゃんと全部イラストはいっているのかな」と心配だったのですが杞憂でした。ページの合間の小さなイラストまで全部再現されていてむちゃくちゃかわいいです。
もしローラのシリーズをそろえるのならだんぜん福音館書店のをお奨めいたします。
わが椿屋敷農園のポリシーは「ローコスト・ローテクノロジー」です。
とにかく「コストをかけずに」「設備投資も最小限で」やっていこうと思ったのです。「最初から大もうけはしなくても、できることからはじめて10年、20年と淡々と長く続けていこう」と。
なんとか続いているのはほんとうにお客様のおかげです。ありがとうございます!
とかなんとかいいながら、今年もそろそろ確定申告の時期が近づいてきております。想像がつくかと思いますが、わたくしこれが大の苦手。「毎日こまめにつけておけば、ぜんぜん困らないよ」と会計の資質のある方はおっしゃいます。結局そういう毎日の地道な努力しかないようです。
なにはともあれとりあえず、会計についてさわりだけでも読んでみよう、と評判の「さおだけ屋はなぜ潰れないか?」(山田真哉著・光文社新書)を読んでみました。
むちゃくちゃおもしろかったです!
枕が「さっぱり売れているとは思えないのに、全国的に何十年も存続している「さおや~さおだけ~♪」のさおだけ屋の謎。あと住宅地にぽつんとある、お客がほとんど入っていない超高級フランス料理店の謎。とかね。「いったいどうやって商売の元を取っているの?」という商売のからくりを本当にわかりやすくおもしろく書いてくれています。もちろん会計のプロとしての視点から。
各章ごとのポイント・ワードがまとめられているのですが、それなど会計のみならず「そうだよな。人生って生活って、こうじゃなくっちゃな」と座右の銘になりそうな名言がぎっしり。
特にうーーーんと唸ったのが「名刺を配りまくっても人脈にはならない。100人の知り合いを増やすより100人の人脈を持つひとりの人物と深くしっかりとした関係を作れ。すでに知っている小数の人物を大事にするべし。」という言葉。
まったくそうだよなあ。
あと「ローコスト・ローテクノロジー」の考え方が、会計のプロから見ても正しい考え方らしいので、勇気百倍。
今後もぼちぼち淡々ながながと続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
泣かせるのは簡単で、怖がらせるのはテクニックがいる。でも笑わせるのが一番難しいですね。
「お笑い」というのは一番文化の違いがでてしまう感情じゃないでしょうか?第一言葉が違うと「今世紀最高のギャグ!」とかいわれてもぜんぜんおもしろくありません。アメリカン・ジョークってなにが面白いのかさっぱりわからん。フレンチ・エスプリも同じ。
関西にいたので「ヨシモト」をむちゃくちゃオモロイ!と感じますが、果たして日本全国の人々があれを面白いと感じることができるのでしょうか?大阪言葉のなんともいえないニュアンスがわからないと、ただただ「べたべたしてしつこくて気持ち悪い」ばかりなのではないかと・・・・・。「お笑い」は受け取る側の素地にも共通するものを求めるのです。
ああいうアクションが入ったお笑いでもこうなのですから、「活字で笑わして金を取る」というのはたいへんな離れ業であると思います。「笑える文章を書ける人」というのはすごいです。今、日本語で一番笑える文章が書ける人は「町長選挙」(文藝春秋社)の奥田英朗氏ではないでしょうか。
「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」に続く「精神科医・伊良部センセイシリーズ」の第三弾。前作「空中ブランコ」で直木賞をとっちゃったんだよね。
日本医師会のえらいさんの息子で、でぶっちょで、注射マニア、なに考えてるんだかさっぱりわからない大人子供の精神科医伊良部センセイは、あいかわらず元気。今日も今日とてピチピチミニの看護婦マユミちゃんを引き連れて「一挙手一投足をあげつらって非難される棺桶ノイローゼの球界のドン」や「ひらがなが書けなくなった小太りのIT長者」や「若作りが強迫観念になった女優」なんかを強引なマイペースに巻き込んで、いつの間にか治している伊良部センセイ。
見たとおりの天然なのか、それともわかっててやってるのか。絶妙のタイミングで絶妙のギャグをかましながら、伊良部センセイは今日も行く。ここらあたりのはずし方が奥田氏の筆の冴えどころ。こんなふうにワラかすタイミングを文章だけで(!)表現できるのはすごいことですよ~~。
タイトルの「町長選挙」編は、「一島全体が町長選挙に燃える島に派遣された都会人の公務員」のノイローゼを治す伊良部センセイのお話。まるで徳之島を思わせるこの島では、島全体が前町長派と現町長派に分かれて、現ナマ・脅迫・策略飛び交う熾烈な町長選挙を繰り広げています。こんな、まるで現代の日本とは思えないような民俗社会でも伊良部センセイは超マイペース。このギャップとバランス。すばらしい!
忙しすぎて落ち込むことの多いこの年末、おかげさまで声を出して笑うことができましたです。
それがこの「週刊朝日の世界の食べもの」シリーズです。
世界中の食べものを国ごとテーマごとに網羅し、週一で冊子を配達、10冊ごとにバインダーに入れると百科事典の体裁になるのです。全部で200冊近くあります。
もちろん美食の都パリや中国の特集もあり、アラスカやニューギニアの辺境の食べもの事情もあり、日本編は一冊ごとに県特集あり、・・・・・・・・・いわばマンガの「美味しんぼ」の「究極のメニュー」を先駆けて実行したシリーズでした。
まあ、うちの両親も食い意地が張ってるなあ。これを揃えちゃったんだもん。
そのままわたくしがもらいました。ありがたい。暇びまに眺めては「ああ、コレが食べたい~~。アレが食べたい~~。」と涎を垂らしています。
「バッテリー」(全6巻・あさのあつこ著・教育画劇もしくは角川文庫)を読み終わったとたんに溜め息が漏れました。
なんというお話だったことでしょう!さんざん小説やマンガで使い古された「野球」を使い、しかも甲子園には程遠い中学校。地方都市。それなのにこの斬新さ。躍動感。感動。
まったくもって物語というのは設定や世界観だけではどうにもなりません。キャラクターです。有機的に絡み合うキャラクターの性格や思惑やなにやかやこそが物語を動かす原動力となるのです。
それにしても、このほとんど少年ばかりがでてくるお話の作者あさのあつこ氏は、少年とは対極にいるある程度年齢の行った女性です。
母親なのです。
現実に男の子を育て上げた経験をもつ母親。
これは強いね~~。「バッテリー」シリーズを読んでつくづく思いました。ある程度文章やマンガを書く女にとって、「少年たちを描く」というのはすごく誘惑の多い衝動なんですよ。だいたい「いくらなんでもそれはないだろう?」といかにもな失敗に終わるんですけどね。男の作者が「理想の少女像」を描こうとして女からしたら「ケッ」と思わせる妄想に終始してしまうのと同じ。
これがさ、男の子の母親となって、現実に成長していくさまをつぶさに見てきたとなると、まあ、リアリティが違うわい。これからこういう作者や作品が増えてくるんじゃないかなあ?
たとえば「ヒカルの碁」(ほったゆみ・小畑健著・集英社)。あのマンガが少年漫画の牙城少年ジャンプに殴りこみをかけてきたときにゃ~たまげましたよ。「碁」ですよ。しかも原作者は「お母さん」。それまでの少年漫画の作者とはかけ離れてます。ましてや少年ジャンプは漫画家志望の少年を10代から囲い込んで育てる虎の穴の草分けとして有名なところだったし。あくまで「お母さん」をやりながら地方都市からFAXでネームを送る。生活が一番でジャンプでの常識だった「一日3時間睡眠」とかは決してしない。でありながらあのクオリティ。
マスコミとか出版界とか、ほとんどが東京にあります。いっちゃあなんだけどちょっと狂った世界じゃないかな?地方都市や普通のご家庭とはまったくペースが違う。でも、日本のほとんどは地方都市で普通のご家庭なのです。本を読むのもそういう人たち。
たぶん、これから「ものを書く人」の中に「地方都市在住で普通の家庭生活をやっていて、子育てなんかも一段落したお母さん」が参入してくるのが増えてくると思います。
そしてそれは凄くいいこと。ガキにゃ~書けない世界を、見せてくれる人たちが増えるということ。
なんだかとても楽しみになってきたぞ。
バッテリー(あさのあつこ著・教育画劇もしくは角川文庫)もあますところあと二巻。最初に読んだときは「あああ、もうあと二巻しかない。読み終わりたくない・・・・・でも、早く、早く続きが知りたい」とジレンマに陥りました。
このⅤでは巧と豪のバッテリーより、温厚だが鋭い突込みを入れる海音寺キャプテンと、天才スラッガー門脇と、その傍で「影の策士」であり続けた瑞垣、の三者の関係がクローズアップされてきます。
特に瑞垣の屈折ぶりがおもしろい!
門脇とは幼馴染で、誰よりも早く門脇が天才であることを見抜き、こと野球というフィールドにおいて余人では彼に追いつけないこと、「努力では超えられないものがある」ことを齢15にして骨身に沁みている男。もう、門脇のことを「愛しているんだか憎んでいるんだかわからない」状態にまで煮詰まっています。
瑞垣の不幸はここまで追い詰められながらも、それを表に出せないプライドがあり、しかも出さずともやっていけるだけの頭の良さがある、というところでしょう。
学校や大人たちの干渉を受けずに、自分たちの手で開催する「新田東と横手の試合」の企画の実現に海音寺と瑞垣は奔走します。頭の回転のいい瑞垣は、こういう社会性とか企画力とかに長けていて抜群に要領がいい。「自分の本心を表に出さずに要領だけで物事をクリアーする」ことに慣れきっていた彼に、一見天然ボケっぽい海音寺が要所要所で鋭い突込みを入れる。ここのところの呼吸がなんともいえずおもしろい。
結局、海音寺やそしてⅤのラスト近辺でお遊びで対峙した巧と豪のバッテリーによって、とうとう策士瑞垣の鉄壁のガードがほころび本心が垣間見えるのです。
「いとしい姫さん(巧)をめった打ちにして、マウンドにひざまづかせて泣かせてやる」と、いい続けた彼の本音は?
この口から生まれたような瑞垣と、舌鋒でいい勝負をするイガグリクリノスケこと吉貞もいい味出してます。
この巻で、「バッテリー(あさのあつこ著・教育画劇もしくは角川文庫)シリーズをもっとも児童文学から遠くする男」瑞垣登場。
天才スラッガー門脇の幼馴染でチームメイト。頭がバリバリに切れて、屈折していて、性格が悪い。新田東と横手の試合のときに、的確に巧と豪のバッテリーの弱点を見抜き、往年の野村捕手のようなつぶやき作戦で、豪の動揺を誘い、そこから巧も崩れ、生まれて初めてのめった打ちを味あわせてしまう恐ろしい男。
こういう男を児童文学で、しかも中学三年という設定でもってくるかあ?(笑)
しかも、その頭の良さとか能力に比して、瑞垣のおかれている状況はきっちりいまどきの中学三年だし(笑)。そのリアルさが「ああ、こんな頭のいい男がこんな状況に置かれてたら屈折するよなあ・・・」という説得力につながっております。
後半のバッテリーシリーズをもっとも盛り上げる男です。
そして新田東の巧や豪の同級生チームメイト、吉貞。こいつがまたただの気の強い野球少年ではなく、頭の回転の舌の回りも速い漫才男だということが判明。
瑞垣と吉偵のやりとりは一見の価値あり。爆笑すること間違いなし。
肝心のバッテリー、巧と豪は「恋愛の一番最初の時期が過ぎて、他人と付き合うことの恐ろしさがわかり始めた時期(笑)」に入ってしまった模様で、豪、思い悩んでおります。巧の球を受けることができなくなっております。どうなるんでしょう?バッテリー。
いまだ夢中の「バッテリー」(あさのあつこ著・教育画劇もしくは角川文庫)です。無事Ⅵまで借りることができ、もう何回も何回も読み返しています。
Ⅲでは、Ⅱで発覚した野球部リンチのために、練習することさえ禁止された新田東中野球部がありとあらゆる手を尽くして、校長に野球部活動再開を認めさせようというお話。
・・・・・・と、こうやってあらすじを書いてしまうと「へ?なに?それだけの話?」って思っちゃうでしょ?「田舎の中学の野球部が(サッカーですらないのよ)どれほどのもん?」って。
ふっふっふ。それが違うのよ。前の「バッテリー」のエントリーで書いたけど、まず主人公の巧と豪が曲者でしょ。その上に巻を追うごとにどんどん曲者が登場してくるのよ~!
Ⅲで目を引くのは新田東野球部の現キャプテン海音寺と、新キャプテンの野々村、そして隣の横手第二中の天才スラッガー門脇。
野球部再開の手段として顧問のオトムライが考えたのは、3年レギュラーと1,2年の紅白戦。それで校長にデモンストレーションして、隣の横手市の全国ベスト4の横手第二中と試合をする、という作戦。紅白戦では巧と豪のバッテリーが大活躍し、レギュラーに1,2年が勝つ。校長も認めかけた、そこに巧たちをリンチした当の展西たちが登場。オトムライとの確執が表面化し、再び野球部閉鎖の危機。
そこで海音寺の見せ場が!Ⅱで「内申書が怖いから学校には逆らえない」と自嘲していたキャプテンは、校長と直談判。「横手のほうから練習試合を申し込ませたら、試合を認めてくださいますね」と校長の言質をとる。海音寺の作戦は、横手の天才スラッガー門脇に巧の速球と勝負させて、それを餌に試合を申し込ませるというもの・・・・・
海音寺がね~。またいいのよ~。
前の巻ではほんの脇役だった彼がこの巻から大活躍!「さすがキャプテン!」とうなるようなまとめ役としての貫禄。校長との交渉シーンなんか惚れ惚れするような策士ぶり。かっこいいぞ―――!!中学生とは思えません。惚れるね。
また、この巻から登場する松井を思わせる天才スラッガー門脇。こいつも中学生とは思えん。この門脇が巧の速球に夢中になり、それを軸にⅣではさらに大きな展開になっていく。すごいよ~。「こうきたか~」と唸るから。
とりあえず読んでみてください。夢中になること請け合いです。
「画像がダメなら文章を書けばいいじゃない!」
などとできそこないのマリー・アントワネットみたいな事を言っている場合じゃないのです。こういうときはブック・レビューだ!本だ。本の紹介だ!
というわけで、今夢中の「バッテリー」シリーズ(あさのあつこ著・教育画劇もしくは角川文庫)です。Ⅵまででているのですが、まだⅡまでしか読んでいません。残りは毎度おなじみ市立図書館伊敷公民館分館で予約済み。あああ、早く残りが読みたくてたまらないのに、読んでしまうのがもったいない。こんな切ない気持ち久しぶりよ!
もうね~~~。なにこれ?なんでこんなにドキドキするの?ワクワクするの?ホントに児童書だったの?ある意味凄くセクシーでエロティックな少年達の関係性を書いている作品なのに。究極のストイシズムこそが究極のエロティシズムに通じるのだと、改めてこの本によって思い知りました。
お話は単純かつ明解で、現代の、しかも岡山の田舎の野球少年たちが中学で野球をする、ただそれだけの話。
主人公の巧とね、巧とバッテリーを組む豪がね―――。イイのよ――――。設定ではこの二人はまだ中学はいりたての12歳。なのに、なのに、おばさん、不覚にも読みながらドキドキしました。惚れました。
巧は「子供であるとか大人であるとかを超越した」天才ピッチャー。12歳にして完成されたフォームとスピード・コントロールを兼ね備えた孤高の天才。天才くんにありがちな「おまえ~、もう少しでいいから協調性を持てよ~!!!」と読みながら喚きたくなるような社会性の無さ。でもね、でもね、読んでいるうちにね、そのあまりの孤高ぶりがね、カッコいいのよ――――。カッコよく見えてくるのよ――――。言っちゃ何だけどさ、挫折したりネジくれたりイジケたりそういう男にはもううんざりしてません?どんだけ周りから浮こうが疎まれようが、あきれるほどおのれの才能にのみ忠実な巧の、潔さ。たまらん。
そしてそれを支えるキャッチャーの豪。この子も12歳とは思えない底の知れない包容力をもっている。まあ、巧みたいな天才くんに惚れて押しかけキャッチャーをするような子だから、ちょっとやそっとの懐じゃやってられないんだけどさ、深いのよ。凄いのよ。そこらの大人の男じゃ及びもつかないような優しさ。鋭いけれど時としてそれで自分自身も傷つける巧を、そりゃそりゃうま~いことフォローして、世の中と折り合いをつかせていく、その頭のよさ。いいわああ、この子もいいわあああ。
あと巧の弟の体が弱い不思議少年青波、巧の祖父の元甲子園常連監督洋三、そして息子達に翻弄される母親達・・・・・・脇役も実にいいです。「ああ、いるいるこういう人。」典型をうま~くキャラクター化しています。素晴らしい!
ここよりネタばれ――――
Ⅱ後半で、巧は野球部の先輩達から、ほとんどレイプに近いリンチを受けるんだけど、そこからのシーンが、もおおお、ドキドキしました。
倒れている巧を豪が見つけて、たまたま親が留守だった自宅に連れ帰って、そりゃあ、かいがいしく手当てするのよ。どんな女も(男も)こんな手当てされたらもうメロメロよ。あんなひどい目に遭って「折れない・変わらない」巧の強さも強さだけど、その巧を「まるで息をするように自然に受け入れ癒し守る」豪も豪だわ。
リンチ事件が発覚して野球部の公式活動が禁止されたⅡだけどⅢではいったいどうなるの?早く読みた――い。
ああ、でも読み終わりたくな――――い。しつこくしつこくⅠとⅡを読み返しながら待つことにします。
というわけで、待ちに待った「京極堂シリーズ」最新作「邪魅の雫」(京極夏彦著・講談社)買いましたよ。んで、一気読みしました。817p。
あいかわらず分厚いです。うっかり寝転がって鼻に乗せて居眠りしたら間違いなく窒息します。でも、京極夏彦の凄いところは、このページ数をまったくもって理路整然と、しかも毎回毎回違う趣向で開陳してくれるところです。凄い。何という整理能力でしょう。京極夏彦たいへんな量のあらゆるジャンルの蔵書を持ち、それを誰もが呆れるほどの美しさで収納しているらしいです。そういう人にしてはじめて書ける作品であります。
「故獲鳥の夏」をはじめて読んだときに、心より「あたし日本人でよかった!」と思いました。「日本人でなきゃこの漢字だらけで日本的な言い回しのみで構成された小説の味はわからんだろう。日本語を日常的に使う国に生まれて、この小説を読む幸運に恵まれてよかった」と幸せを噛みしめたものです。シリーズが進むにつれてますますその思いを強くしています。
偏見ですが英語で書かれたスティーブン・キングやアガサ・クリスティは邦訳で読んでも結構味は伝わってるんじゃないかなあ?と思うんですね(原文を読んでないくせに決め付けてます)。でも京極夏彦、特に京極堂シリーズを英訳するのは不可能じゃなかろうか?広い世の中のことだから、たぶんもう英語版も出ているのかもしれませんが、それはもう原文のシリーズとはまったく違うものじゃないでしょうか?「故獲鳥の夏」は映画化されましたが、それもたぶんまったく違うものなんじゃないかなあ?観てないくせに決め付けてますが。それほど京極夏彦の文章世界は独特です。他に類がない。空前絶後とはこのことです。
さて、今回の「邪魅の雫」、どちらかといえば今まで脇役もいところだった警察の面々、元警察官の益田、現警察の青木、山下にスポットライトが当たっています。(京極堂と訳アリっぽい、公安の郷嶋、ちょっとかっこいいぞ)いつもの主役クラスたち、憑き物落としの古本屋京極堂、鬱病小説家の関口、ドはずれ警官の木場、そして何より神に等しい探偵榎木津の活躍場面はあまりありません。いわば脇役ユニットによるバージョンにもかかわらずこのおもしろさ。社会派警察小説のような趣です。松本清張や高村薫ばり。ほんと何でも書ける人なんだなあ。
まあ、わたくし芯から榎木津ファンなので、もっと出番が欲しかったところですが、いつもと違う榎木津を見ることができたので良しといたします。そうか~。榎木津。傍若無人な彼にもこういう一面があったのね。なんだか心がキュウンとなりました。これ以上はネタばれなので触れません。
京極堂シリーズファンのみなさま、やっぱり「邪魅の雫」はおもしろかったです。んで、まだ未読の方々はまずシリーズ最初の「故獲鳥の夏」からお読みする事をお薦めします。自分の中の「日本語の可能性」がグ―ンと拡がる事間違いなし。それはとても幸せなことでありますよ。騙されたと思って。ぜひ。
柴田よしき氏も大好きな作家で、「リストの端から端まで」読んでしまいます。シリーズものもいくつかあるのですが、複数のシリーズにでてくる山内 練というキャラが出色のできですぞ。
山内 練(やまうち れん):女と見まごう美貌のヤクザ。悪魔的に頭がよく、センスがよく、残酷で守銭奴で、おまけにバイセクシャルときたもんだ。しかもヤクザに転落したきっかけがまったくの冤罪。それまで育ちのいい内気な理系の大学院生だったのに無実で刑務所に叩き込まれて、美貌のせいで女の替わりに犯されまくって運命がおかしくなってしまった。名家だった彼の家族もスキャンダルで離散の憂き目に会い、政治家目前だった兄は自殺。だから美しく残酷な顔の後ろに癒せない悲しみと怒りを背負っている――――
どうです?この設定だけでも女心を鷲掴みにされません?最初に彼が「村上緑子シリーズ」の「聖母の深き淵」ででてきたとき「やられた~~~~!!!」と思いましたもん。それ以来「山内は出てこないかな?出てこないかな?」と他のシリーズでも探してしまうありさま。「やるな、柴田よしき!」ですよ。こういうキャラは女性の作家じゃないと使いこなせないと思うな。はっきり逆性差別しちゃうよ。
この「花咲慎一郎シリーズ」・・・・・今のところ「フォー・ユア・プレジャー」「フォー・ディア・ライフ」「シーセッド・ヒーセッド」の三冊が出ていますが、三冊ともに山内がでてきます。だからというわけじゃないですが数多い柴田よしき作品の中でこのシリーズが一番すき。(実はもひとつ「猫探偵・正太郎シリーズ」てのがあって、これも最高なんだけど・・・ああ、甲乙つけがたい!)
主人公の花咲慎一郎もすごくいいんです。元警察官。正義感が強すぎてヤクをやっていた同僚を撃ち殺しちゃって「仲間殺し」の汚名を着て転落。ヤクザ御用達の泥の中を這い回る探偵になっちゃった。さらに、ふとした縁で、新宿二丁目にある「にこにこ園」という保育園の園長さんも引き受ける羽目に。水商売女性の子供達を引き受ける「にこにこ園」は慢性赤字。でも、元来花咲は素直でまっすぐな男なので、それはそれは幸せそうに一生懸命「園長さん」をやってるの。んで、「にこにこ園」を維持するために「副業としての危険な探偵業」を続けているというわけ。
ただでさえ「24時間営業の保育園の激務」の上に「ヤクザがらみの探偵仕事」が重なると、「花咲、いつ寝てるの?」という次から次へと事件状態。しかもその事件が二重、三重に絡んでいて「どうなるの?どうなるの?」とページを繰るのももどかしいおもしろさ。
柴田よしき氏が1児の母なので、子育てや保育園の実態もものすごくリアルでおもしろいし、ストーリーテラーなので探偵業やヤクザの描写もすごくおもしろい。
んで、問題の山内は花咲とどう絡むのかというと、なんと花咲、「にこにこ園」の土地代の借金の方に、4千万の生命保険にかかって、その受取人が山内、という契約をしてしまうんですわ。つまり、返済が遅れたらこの世から消されちゃう契約。ここらあたりのバカ正直な花咲とクールな山内のやり取りも抜群。愛すべき男・花咲を愛する女たち、イタリア料理のシェフの理沙も、女医の奈美も、別れた元妻の弁護士麦子も最高!このシリーズも、いつか映像化されんかな――――?
・・・・・と思っていたら、いつの間にか二時間枠でドラマ化されていたらしい。ええええ?どうだったの?
花咲役は高橋克典がやったのですって。まあ、適役か。
んで、んで?山内役は誰がやったの?あの役ができる日本人の役者がいるの?ヘタな美形もどきじゃ許さんぞ。誰だ?誰がやったんだ?知りたー―――い。
昔京都に祇園会館とみなみ館という名画座があり、学生時分毎週末にオールナイト3本立てを観に行ってました(当時は徹夜も大丈夫でした)。 一生で一番映画を観た時期でしょう。
すでに重症のマンガ・ジャンキーで活字中毒者だったので、自分が好きなマンガや小説を「どうやったらおもしろい映画にできるかなあ。」と、勝手に監督や俳優をキャスティングして楽しんでました。映画好きがよくやる遊びだよなあ。
今はもう映画どころかTVもほとんど見ない生活になってしまいましたが、マンガと本はあいかわらずなので「これは!」という作品に当たると「ええっと、映画にしたほうがおもしろいかな?それともTVドラマにしてじっくり見せたほうが・・・」などと勝手な事を空想することはよくあります。それで、今一番「映画化したらおもしろいのに~!」と思うのがこれ。
「ドミノ」(恩田陸著・角川書店)。
これはね――――!おもしろいよ――――!!文字通り大笑いするぞー――!!
SF作家筒井康隆氏が始めた、スラップスティックという群像ドタバタ劇とでもいうべきジャンルがあります。「ドミノ」はそれの無二の傑作です。恩田陸氏の作風は通常ホラーやミステリーに近いので、こげなお笑いの傑作を書けるとは本当にたまげました。恩田氏いわく「恐怖と笑いは近いところにある感情」なのだそうですが。
群像劇なので登場人物がやたら多いです。しかし、この小説の真の主役は迷路のように入り組んだ構造を持つ東京駅。その東京駅の構内で、夏のある一日に起こった世にも稀な大騒ぎをいろんな切り口でいろんな視点からあますところ無く書くという手法をとってます。
なにせこの事件に関わったのが
ざっと、数えただけでもこれだけの登場人物。普通これだけ人間が出てきたら話がごちゃごちゃして訳がわからなくなるんだけどなあーー。恩田陸はすごいぞ!すべての登場人物と状況を、生き物の内臓のように入り組んだ東京駅の構内で絡み合わせ、ダイナミックに動かし、さらなる大笑いの渦に叩き込んでくれるぞ。それでありながら非常にシンプルでわかりやすい。タイトルの「ドミノ」は、このたくさんの登場人物たちが、まるでドミノ倒しのように関わり合い干渉しあいながら、とんでもない方向へ状況を運んでいくことからつけられたのでありましょう。
恩田氏も「リストの端から端まで」読んでしまうリスペクトする作家ですが、こんなお笑いモノが書けるとは思っていませんでした。小説を読んで思わず声を出して笑ったのは本当に久しぶりです。とにかく読んでみてください!このおもしろさをぜひ誰かと分かち合いたい。
それで誰かこれを映画化してくれないかな?ほとんど東京駅構内の話なので予算もかからないと思うんだけれど。あああッ日本だと公共の場での撮影の許可がでにくいのか?なんとかそれをクリアーして、誰か、誰かこれを映像化してくれえええ―――!!
マンガ・ジャンキーな上に活字中毒者なのです。でも、マンガでも本でも一旦「いいな」と思った作者のものは、作品リストの端から端まで読んでみる、という読み方をします。だから偏ってるぞ~。
そういう「リストの端から端まで読んだ、リスペクトしている作者」の中に橋本治氏と養老孟司氏がいます。
このお二人に共通しているのは、「楽天性」と「体を動かせ」と「人も世の中も変わらないものは無い」でしょうか。1980年代からコアなファンがついていた方たちですが、橋本氏は「古典の現代語訳や辛口評論(ご本人はこれについては不本意らしいけど)」、養老氏は「専門の解剖学をベースにした、これまた辛口の文明論、社会論」という「いかにも売れなさそう~な」でもマニアにはたまらん本ばかり出しておられました。「ふっふっふ、だからこそあたしは読むのよ。」と、新刊が出るたびにチェックして本屋なり図書館なりに走り、舐めるように読み続けて21世紀となりました。なんちゅうの?ブレイク前のアイドルオタクみたいな心境?(いや、お二人ともちゃんと売れてたんだから、ちょっとこれは失礼だって。)
ところが、どういうわけか21世紀になってから、このお二人の著書がいきなりとんでもないバカ売れ大ヒットをして、たまげました。
橋本氏の「上司は思いつきでものを言う」と養老氏の「バカの壁」です。
嬉しかったけど、複雑。独り占めしてたのにって。
(いや、だから独り占めなんかしてないって)
それと同時に「ああ、世の中って変わっていくんだなあ。」としみじみ思いました。「偏屈な変わり者」であったはずの(なんちゅうご無礼をば。ほんとにファンか?)お二人の本が爆発的大ヒットする時代がくるとは。
「この世が永遠不変である。」と信じたがるのは「子供」でしょう。子供の頃は自分の周りの景色も人間関係も世の中も自分自身すらも変わる、ということが実感としてわかりません。大人になるにつれて、例えば身近な人間が亡くなる、景色が変わる、社会情勢も変わる、ことを実際に経験してしまいます。どんなに愛したものも、どんなに憎んだものも、時間がたてば心が変わっている自分に愕然としたり。
でも「この社会も自分も永遠不変である。」という前提以外を許さないのが高度成長期でした。「いつかは自分も死ぬ。いつかは社会も滅びる。」ことを見てみぬふりしてきた。そのツケが今まわってきているのです。(わたくし自身にもね)
バブルは崩壊したし、ベルリンの壁は崩れたし、阪神大震災は起こるし、地下鉄サリン事件、そして9・11事件。
「万物は流転する」のです。それをいたずらに不安がってどうする。怖い怖いという前にとりあえず体を動かせ。動かせば必ず脳も変わる。脳が変われば選択肢が増えて硬直した状況が動き出すぞ。状況が変われば楽天的になれる。終始一貫して養老氏の主張はこうです。
「楽天的じゃなきゃ、還暦を過ぎてから本がバカ売れしたりしないでしょ。」とは、Dr.ヨーローの名言。じゃっど。うわさでは新潮社では「『バカの壁』ヒット御礼ボーナス」がでたそうな。
「死の壁」(新潮新書)は「バカの壁」に続く第二弾。たくましいのう。かくありたきものよ。
故ナンシー関画伯が『ろくに見もしないで「テレビなんかおもしろくない」と言っているのにはムッとする。そういうのは私のように目がかすむまでテレビを見た者が言ってこそのセリフである。』とおっしゃってますが、まさしくその通りでしょう。ほとんどTVを見ないわたくしは、TVについて何もいう権利がございません。
脚本家宮藤官九郎の出世作TV版「池袋ウェストゲートパーク」も、去年ビデオ(DVDではない。泣ける)で観ました。石田衣良氏の原作(文藝春秋社)は、ほぼ発売と同時に読んでいるというのにです。我ながら現代日本に住んでいるとは思えない偏った情報の元に生きています。TV版もおもしろかったけれど、やはり原作とは違いますね。テイストが。
最初に原作の「池袋ウェストゲートパーク」を読んだときにはたいへんなショックでした。あまりのカッコよさに!
翻訳物を読んでいるみたいな垢抜け振り。でも舞台や風俗はまぎれもなく今現在の池袋(らしい。池袋知らないけど。)。あとで「A・ヴァクスの『フラッド』の雰囲気で書いた」というインタビューを読みましたが、まさしく、それ。ストーリーの作り方、文章、キャラクターの造形、すべてが骨太でオーソドックス、クラシックともいえる手法なのに、このおもしろさ。
「この作者は、悪党だわ!」確信いたしました。
いっちゃ何だけど、それまでの和製ハードボイルドはおもしろくなかった。特に男性作家のやつ。だってさ、主人公(だいたい30代~40代の男だ)が女々しいんだもん。「殺された女房の、子供の、恋人の、親の復讐のために単身巨大悪に挑む」こればっか。「だいたい女房子供を守れなかったのは、てめえがドジで身のほど知らずだからだろうが」とか「復讐の途中で人様に迷惑かけんな。あああ、また犠牲者が・・・」とかツッコミどころ満載。そのくせやたらとセンチメンタルでジメジメしてる。「女房が死んでから復讐するより生きているうちに大事にしろよ!甘ったれんな!」と、腹が立って腹が立って。
「池袋ウェストゲートパーク」は、その点目が覚めるほど鮮やかでした。主人公の果物屋のマコトのカッコよさ。ハードボイルドの常套、自嘲的セリフも満載なんだけれど、マコトが言うと卑屈じゃない。いわば「自分ツッコミ」でからっと笑わせてくれる。この「からっと」したところが大事よね。なんつっても「ハードボイルド」は「固茹で卵」よ。からっと乾いた文体が身上でしょ。
池袋のGボーイズを束ねるキング・タカシ(またこいつがカッコいい)。若手有望ヤクザのサル。しけた池袋署の刑事吉岡。鉄火なマコトの母。凄腕ハッカー・ゼロワン。まだまだいるけど、もう出てくる奴出てくる奴、「世の中の大勢に流されず自分の中のモノサシで判断する事ができる」カッコいい奴ばっかり。「池袋ウェストパークシリーズならいくらでも書ける」と石田衣良氏は言ってるけど、いくらでも書いて欲しいよ。「いつまでもこの世界に浸っていたい」と思わせる。どの話も後味が凄くいいのです。これだけ、毎回毎回「普通こんな事知らんだろ」というような悲惨なアンダーグランドの話を書いといてこの後味の良さはただ事ではない。
考えられる事は一つ。石田衣良氏が本物の悪党である。これしかない。どんな泥をかぶろうが汚物をかぶろうが汚れない揺らがない。それは腹をくくった本物の悪党にしかできない事。
TVを見ないのでよく知らないけれど、どうも石田衣良氏はTVにも雑誌にも今引っ張りだこらしい。雑誌で見る限りその意見には揺れがない。TVではどうなんだろう?もしナンシー関画伯がご存命だったら、石田衣良氏をウォッチしていただろうか?なんと言っただろう?読めないのが本当に残念です。
今回のⅤで一番よかったのは「スカウトマン・ブルース」。18人の女の子を風俗に紹介してその上がりで食っている凄腕スカウトマン、タイチ。この、聞くだけならば最低の男の、他に類を見ない魅力をあますところなく文章で見せる。なんという説得力。「やはりこの作者は悪党である。」と確信するのですが。
日本のヴィジュアル作品の中で、もっとも害毒を撒き散らしているのは、「どらえもん」と「水戸黄門」と「スタジオ・ジブリの作品」であると思います。(あああ、とうとう言っちゃった)
「どらえもん」・・・・・「助けて~どらえもん!」といいさえすれば何でも尻拭いしてくれる存在があると錯覚させる。マザコン養成アニメ
「水戸黄門」・・・・・正式な裁判も何もなしに、一回につき何十人も人殺しをする(正確には殺人教唆。「助さん格さん殺っておしまいなさい!」)危険なジジイを日本国中に野放し。リンチを正当化するファシスト養成番組。
「スタジオ・ジブリ作品」・・・・・ロリコンのロリコンによるロリコンのためのアニメ。
というわけで、これらをまったく好きませんが、「放送するのを止めろ!」とは言いませんよ。どんな意見であれ発言の権利があるのが民主主義社会ですから。片腹痛いのはどうやらこの3つが多数派らしいところですが。
こんな危険なものを平気で地上波放送してるくせに、ときどき「えっ?どうしてこれが検閲にひっかかるの?」てのが問題視されたりしてます。記憶に新しいのが「バトル・ロワイアル」(高見広春著・深作欣司監督)でした。国会まで巻き込んでのR指定(他にやることなかったんか?)。ちゃんと本読んだの?映画観たの?生と死について極限まで考えさせる傑作だったのに。
作家の村上龍氏も毀誉褒貶の激しい人で、芥川賞の「限りなく透明に近いブルー」からそらもうむちゃくちゃ叩かれてました。(いまや審査員になちゃったんだなあ。)この「半島を出よ」(幻冬社)も誉める人は誉めるけど、けなす人は読みもしないうちからケチョンケチョン。
・・・・・2011年、福岡を北朝鮮の軍隊が占領する。為すすべもない日本政府は何の方策もないまま九州を封鎖。
もう紹介文のこの一文だけでだめな人はだめらしい。
「読まずともわかる!結局憲法改正、再軍備が必要だといいたいのであろう。いたずらに北朝鮮への敵視を煽ってまで話題性が欲しいのか?この手の右傾化が進む昨今の日本は・・・・・」
そんなこと一つも書いてないぞ。とりあえずまず読んでから言えってば。
だいたい村上龍氏は「国の基幹は経済であって、経済の破綻した国はどんな軍隊を持っていても国際的な信用を得られない。」って主義の人で(まったくもって賛成だわ)、繰り返しそのことを作品の中で言っているのに。(「希望の国のエクソダス」もそうだったな)
「半島を出よ」では、北朝鮮軍と日本政府と博多市民と、それから社会に適応できない少年犯罪者グループ、それぞれに属する人々からの視点で書かれていて、なかなかの読み応え。どちらかというと昔の村上龍氏からすると「丸くなったなあ~」ってほどですが。
ネタばれするので言えないけれど、ラストも現実に九州に住むものとして「ん!だよだよ!そうでなくっちゃ~!」という、たいへん納得の行く解決をしてくれております。繰り返しますが「再軍備のサの字」も出てこないぞ。
九州人なら読んだほうがよかど。それにしても、こんなにまともなことを書いているのに、しかももう結構いい年なのに、なんで村上龍ってこんなに誤解されるかねえ。おなじ村上でも春樹とは大違い。そこらあたりが九州男らしい不器用さで、おかしくなりましたですよ。
開き直って寝転がって本とマンガを読みまくった昨日でありました。その姿氷上に転がるトド、アザラシの如し。人さまには見せられず。
ずっと読みたかった「アルジャジーラ」(ヒュー・マイルズ著・河野純治訳・光文社)です。
イラクで日本人が人質になったり、残念ながら殺されたり(ご冥福をお祈りいたします)、した時に、必ずこのアルジャジーラという衛星TV局がゲリラに向けて人質解放の呼びかけを放送してくれましたよね。「BBCでもCNNでもない、カタールの小さな民間放送らしいのにアラブ世界には凄い影響力があるんだな。」と俄然興味をひかれました。
そういえば9.11事件以降トチ狂ったブッシュ・ジュニアが「アルカイダ殲滅、オサマ・ビン・ラディン抹殺」を唱えてアフガニスタン侵攻したとき、 世界のメディアの中でアルジャジーラだけが「ビンラディンのインタビュー(というかアメリカへの宣戦布告)テープ」を放送したし、アメリカ軍がただでさえギリギリの生活をしているアフガニスタンの民間人の施設を爆撃してるのもすっぱ抜いてるし、「フセイン逮捕」を唱えてイラク侵攻したときもやっぱりアメリカ軍のイラク民間人への攻撃や虐待をすっぱ抜いてたし、パレスティナのイスラエル軍の暴挙も出すが、自治政府(故アラファト側ね)の腐敗ぶりもすっぱ抜いていたんですよね。
中東についてまったく詳しくありませんが、世界の中でも有数にドンパチの多い地域だという認識はあるし興味もあります。それでまあ、手に入るニュースはそれなりに注意してみていると必ずでてくるのがこの、アルジャジーラ。
日本人人質事件のとき、日本政府が「自己責任」という「その使い方間違ってねえか?」な言葉で事実上同胞を救う何ら有効な手立ても打てなかったときに(アメリカだって役に立ってなかったじゃん)、あまり縁のないペルシャ湾の小国(天然ガスで裕福らしいけど)の放送局が、一肌も二肌も脱いで救出の呼びかけをしてくれて、香田証生さん以外は助かっている。「ありがたいこっちゃ」と思いませんでしたか?
もっとも中東に情報ソースの少ないNHKが、アルジャジーラの映像をかなりの高額で買っているらしいので、そこらあたりのご縁もあって尽力してくれたのかもしれませんが、それにしてもね。イスラム原理主義だのシオニズムだのインティファーダだの、余所の地域にはわからない、首を突っ込めないことが多すぎる中東で、民間人はもちろん政府関係者、ゲリラにまで信用されている放送局って何?
その疑問にこの本は答えてくれましたです。
要するに「アラブ人のアラブ人によるアラブ人のための真に民主的な放送局」なんですわ。
アルジャジーラは今でこそ名声を得ているけれど、とにかく設立当初から敵が多かった。周り中すべてが敵だらけ。なんとアラブ諸国ことごとくに敵視され、そのたびカタールは外交圧力をかけられたそうな。一般人には最初から指示されていたけれど民主的とはいいがたい他の国の首長にはたいそう煙たい存在だったらしい。自国の首長や政府にも噛み付いているらしいからそこのところ徹底してます。
アルジャジーラの基本方針は「一つの意見があれば違う意見もある」で、たとえばパレスティナ問題を出すときは、パレスティナ側、イスラエル側双方のもっとも過激な論客をだしてくる。そしてアルジャジーラはあくまで中立でどちらも裁くことをしない。報道機関として正しい、実にアッパレな姿勢ですが、これがパレスティナ、イスラエル双方に敵を作る。パレスティナ側は「イスラエルの犬」といいイスラエル側は「テロリストの味方」とののしる。なんだかなあ。
すべてがこの調子で、「どちらか一方にだけ肩入れしない」というその姿勢が「治安を乱す」と憎まれた。アメリカはその際たるもので、アフガニスタンにおいてもイラクにおいてもアルジャジーラの記者を理由なく逮捕したり拘束したりしたというから目も当てられない。それどころか支局を爆撃したり、記者を狙撃したりしている。もちろん名目は事故。あのなあ。アルジャジーラは最初から「アメリカ側の言い分も言ってくれ」と要請してるのにそれは無視して頭から「テロリストに味方する放送局は許せん!」の一点張り。「ファシスト国家を潰す」とか言ってる奴のほうが「ファシスト」じゃん。自由の女神が泣くぞ。
どんな妨害にも圧力にもめげず、アルジャジーラは揉め事の双方の意見を放送し続けました。結果「正確な情報をアルジャジーラだけは流してくれる」と一般の支持を得て、アラブ世界では№1の放送局となったわけです。たいした心意気じゃありませんか!
新聞の書評で「元気のいいトップ屋集団、それがアルジャジーラ」とありましたが本当にその通り。日本でもアルジャジーラの放送が見たいのに、なぜかスカパーでやってたのがなくなってるの。なぜ?
なんか都合の悪い事、隠してるんじゃないでしょうね?
「どろどろどろどろ」静かにでもおどろおどろおしく鳴り響く和太鼓。
「ああ、幽霊がでてくる。幽霊がでてくる!!」
あれはよくできた効果音ですよね~。江戸時代に歌舞伎で使われていた効果音が、いまだに使われているわけです。怖いよ~~~。
「東海道四谷怪談」は傑作の多い歌舞伎の怪談話の中でもダントツの怖さだといいます。主人公のお岩様はとんでもない怨霊で、四谷怪談を舞台化したり映画化したり小説化したり、とにかくお岩様を表現するときには四谷のお岩稲荷にちゃんと詣でてからでないと、必ずや祟りがありましょう、ってんだからとんでもない。お岩様は著作権協会か?・・・・・・いやいや不遜な事は申しますまい。祟らないでね。パン!パン!(拝みました)。
「嗤う伊右衛門」(京極夏彦著・角川文庫)です。京極氏はこれを上梓するにあたって四谷稲荷に詣でたのでしょうか?
この作品は今まで伝えられてきたお岩様像とはまったく違う、美しく、素直で愛情深く、恨みのかけらもない誇り高い女性像として描いているのだけれど、・・・・・・でも、詣でたんだろうな。そういう作法をいかにも大事にしそうな京極氏。
「京極堂シリーズ」が大好きで、もちろん全部持ってるし、それどころか十回以上は読み返しているというぐらいのファンなんだけれど、「嗤う伊右衛門」を読んだのはずっと後でした。なにせ既存の「お岩様像」があまりにも強烈で。あまりにもどろどろベタベタじめじめして怖すぎなあの話を、どう料理しても「理不尽な不幸に、より理不尽な怒りで対抗する救いのない話」になるんだろうと思っていたので。
杞憂でした。これを読んでさらに「京極夏彦は凄い!!」と。
理不尽さはまるでなかったです。いや、不幸な理不尽はお岩様や伊右衛門殿に降りかかってくるんだけど(その元凶は伊東喜兵衛。こいつがまあどこをとっても救いようのない大悪党)、その理不尽に対して恨みを持ってこないの。なんというかクールなの。お岩様と伊右衛門殿が淡々と乾いた対応をして(伊右衛門が大工仕事が上手で寡黙な職人肌なのもポイント高し)、それがさらにより大きな理不尽の呼び水になるんだけれど、最後の最後まで二人は不幸ではない。それどころか「ああ、これはハッピーエンドなのだわ。」と思わされてしまう。普通には「ここまで陰惨な結末はないだろう」といえる狂気の沙汰な最後なのに。
読み終わった後に泣きましたね~。
「世界の蜷川幸雄」が小雪と唐沢寿明で映画化したので、これは見ねばならんと見ました。
わたくし的には「今まで見た邦画ベスト3」に入る感動作です。
主役の二人も美しかったですが、大悪党伊東喜兵衛を椎名桔平が怪演。衣装や調度の美術の趣味もよくて、伊東喜兵衛が持っていた人間が入りそうな大花瓶を欲しくなったほどでした。
歌舞伎の「四谷怪談」は今のシーズンの出し物。そう、この「嗤う伊右衛門」も今の時期にお薦めでございますよ。
活字中毒気味なので、図書館は娯楽の殿堂です。特に鹿児島市立図書館にはたいへんお世話になっております。(まあ、税金払ってるんだから)。
今までずっと鴨池の本館に行ってました。しかし最近たいへん忙しくなり、しかもガソリンの価格が上がってきたので、この鹿児島市のチベットからわざわざ鴨池まで降りるのが億劫になってきて、不義理なことに何度か延滞してしまいました。税金払っているとはいえ(しつこい)、延滞はいけません。
今度も貸し出し期限が過ぎそうだったので「これはいかん」と、最寄の伊敷分館に返しに行きました。
びっくりしたなあ!
伊敷の公民館にくっついていて、部屋はもちろん小さいんだけど、すごく本の内容が充実してました!!
柴田よしき、京極夏彦、恩田陸、森博司、石田衣良、岩井志麻子・・・・・今ごひいきの作家さんたちのラインナップが、本館に劣らない揃えになってます。こりゃあいいや!
市立図書館では本のデータベース化が進んでいるので、パソコンで予約してここを受け取り場所に指定するのも可能。駐車場のめんどくさい手続きも要らないし、なにより近い!!
おみそれいたしました。市立図書館伊敷分館。
うちの動物の中で1,2を争う攻撃力を誇る地鶏くんの蹴爪です。怖いぞ―――!!
洋の東西を問わず雄鶏は魔除けの動物として珍重されてきました。さもあらんです。もーむちゃくちゃ気が強い。縄張り意識も強い。おのれのテリトリーに入ってきた動物は、雌鳥以外は容赦なく攻撃する。人間だろうが神だろうが悪魔だろうが斟酌しない。誰よりも早く夜の明けるのを察知して、1km半径に聞こえてこだまするトキの声をあげる。幽霊だろうが吸血鬼だろうが雄鶏が鳴くと退散する。あっぱれ。天岩戸の前で「常世の長鳴き鶏」が鳴くと「天照大神」がお出ましになる。まことにあっぱれ。
小学校の図書館に、「世界の怖い話」とか「日本の怖い話」とかいう子供向けのアンソロジーがあり、子供向けとはいえ文章がしっかりしていて怖かったです。しかし子供は怖い物好き、繰り返し繰り返し読みました。
その中のルーマニアだかブルガリアだか東欧の雄鶏のお話が印象的でしたね――。
・・・・・その国では「火曜日に卵から孵った黒い雄鶏は魔除けになる」という言い伝えがありました。ある農夫がその言い伝えを信じて火曜日生まれの黒い雄鶏をそれはそれは大切にしていました。ある日農夫は空から棺桶が自分の家の屋根に降ってくるのを見てしまいます。あまりの恐ろしさに口もきけないでいると、黒い雄鶏が「コケコッコ―――!!」と高らかに鳴きました。すると棺桶は跡形も無く消えました。さらにしばらくして、もう一度棺桶が降ってきました。このときも雄鶏が鳴いて棺桶は消えました。さて、農夫の女房は卵も産まない雄鶏を農夫が身も世も無く可愛がり大切にするのをいまいましく思っておりました。「朝からうるさいのに昼間まで鳴くなんて。」
3度目に黒い雄鶏がたいへんな勢いで昼日中に鳴き始めたとき、女房は「ええい、うるさい!」と木槌を雄鶏に投げつけて殺してしまいます。
「なんということを!!」農夫は恐れおののきながら女房に言いました。「お前は雄鶏と一緒に俺も殺した。もう屋根の上の棺桶は消えない・・・」
その夜から農夫は高熱を発して、三日後には死んでしまいました。
うちの地鶏くんもよくトキを告げてくれます。いかにも魔が除けてくれそうな景気のいい鳴き声です。元気になります。ちゅうか、否が応でも目が覚めるので早寝早起きになるっちゅうの。健康になるっちゅうの。
柑橘類はほとんどがそうですが、暖かい地方でしか採れません。
ゲーテなどほとんど読んだことはないですが、ひとつだけ印象に残っているお話があります。「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」というタイトルだったと思いますが(うろ覚え)、主人公のドイツ人ウィルヘルムがみなしごのイタリア人の少女ミニョンを、ドイツに引き取って育てるけれど、生粋の明るいイタリア少女だったミニョンが、ドイツの寒く暗い空の町で暮らすうちに、どんどん生気を失っていき、最後に故郷イタリアを思いながら肺病かなんかで死んでしまう・・・・・というお話じゃなかったかな(うろ覚え)。違うかも。
そういうストーリーはうろ覚えなのですが、強烈に印象に残ったのがレモン。少女ミニョンがイタリアを懐かしんでいつも歌う
「君よ知るや南の国
レモンの木は花咲き
暗き林の中に黄金したたる実は
枝もたわわに実り・・・」
という、すごく美しい歌があったのです。ロマンティックで印象的でしょう?
どうも、ほとんど北国といっていいドイツでは昔から南国イタリアへの憧れがあったらしいのです。開放的とか情熱的とか(おなごが綺麗で自由奔放とか)まあ、東京の人が沖縄とかにいだきそうなイメージが、伝統的に特にインテリ(ゲーテみたいな)層のなかにあった。少女ミニョンとレモンはその象徴である。・・・・・という、解説が乗ってましたね。余計なお世話にも、ウィルヘルムはイタリアでのびのび暮らしていたミニョンを、淑女教育のためだかなんだか知らないけれどわざわざドイツに引き取って、まるで植生の北限を越えたレモンの木が枯れるように、ミニョンを死なせてしまったわけで・・・・・。
そういうとこが、いかにもプロテスタントのキリスト教がやりそうなおせっかいだよなー――。余計なお世話というか傲慢というか。
「憧れだかなんだか知らないけれど、無理やりレモンの木を北国に植える真似なんかしないで、リンゴ植えとけや。」
と、世界の大文豪ゲーテの本をやっとかっと1冊だけ読んで、印象に残ったのがこれだけ。しかもうろ覚え。いかんなあ。今読み返したら、少しはましな読み方ができるのかな。
たとえばチューリップを説明しようと「花弁は6枚で(正確には3枚が花びら、3枚がガク)、釣鐘を上に向けたような形、色は赤、白、黄色など、草丈は30cm・・・」などと、いくら言葉を駆使しても、トルコ桔梗なんかをを持ってこられたりするでしょうが、絵に描けば子供の絵でも一発でわかります。それほど人間は視覚に頼る生物なのです。
外部情報の実に80%を視覚神経から入力しているといわれています。ここでいつも気になるのですが、人類発生から500万年、そのうちの4999900年ぐらいは動画なしの生活をしてきました。4999950年ぐらいはTVなしで生活してきて、それなのに特にこの30年ぐらいは先進国で大多数の人間がTV漬け、もしくはコンピュータのスクリーン漬けの生活をしています。大丈夫なんでしょうか?今人類の目は発生以来の何百万年とはとんでもなく桁違いの情報を浴び続けているのです。
現に近視の人間(わたくしを含めて)だらけになっておるわけですが、それ以上にその情報を入力され続けている脳のほうは?脳の情報処理能力は本当に追いついているのでしょうか?人類の今までの進化にはまったくなかった性質の奔流のような視覚情報の洪水。普通の人間の脳で本当にそれをさばききれているのでしょうか?
「冬眠」の記事でちらりと述べましたが、太陽光を浴びることは本来昼行性の人類には重要なことです。太陽光不足による「冬眠状態に近いといわれる鬱病」が存在するわけですが、それ以上に人類は「冬眠」でもせなやっとれんぐらいの過剰で危険な情報の洪水にさらされておるのではないでしょうか?情報処理に疲れきって思わず動けなく(フリーズ)なるほどの膨大な情報に。
TVを見ると最近特に疲れるのです。目が悪くなったというのもあるかも知れませんし、ここ10年ぐらい朝6時のニュースと夕方7時のニュースと「なんでも鑑定団」と「たかじんのそこまで言って委員会」ぐらいしか見てないのでついていけないのかも知れません。オリンピック中継も疲れて見つづけることができません。「自分で情報を調整し、制限できる」という点で、マンガや本のほうがまったく疲労しなくてすみます。だからといってマンガ漬けになっとりゃ世話はないのですが。
まあ、おかげさまでうちには農園がありますので、そこの緑と動物に関する仕事は次から次へと絶えることはありません。これは体は疲れますがTVを見た後の脳みそがぐったりする感じはないのです。母方のじいさんが遺してくれた椿や山茶花の同定も、なかなか調べるのはたいへんですが「疲れる」という種類のものではありません。
この「日本ツバキ・サザンカ名鑑」(日本ツバキ協会編・誠文堂新光社)の2400種が載った図鑑を木の下まで持っていって「あれでもない、これでもない)と検討しておるわけです。とはいえ素晴らしい写真がついていますので、かなり速やかに同定ができます。リーズナブルで持ち運びがしやすい割には凄く便利。昔の椿図鑑はなにやらぶあつーい作りで、持ち上げるのにも重かった。あちこちの椿の銘木の写真が載りすぎていて厚さ20cmはありました。それにくらべりゃこの本は情報が制限されていて使いよいです。厚さも2.5cmだし。よい本じゃ。
「椿・山茶花」欄の「品種解説」はこの本を参考にしています。
雛の節句にヨモギ餅をつくあのヨモギです。
七草に春の七草を使って七草粥を作るのも、雛の節句にヨモギ餅を作るのも、もともとは奈良時代の宮中で春の薬草摘みの行事を行っていたところからきたらしいです。すんげー長い歴史があったりするわけです。
10代の頃、井上靖の小説「額田女王」がそらもう大好きで大好きで 、歴史的な背景はもーどうでもええから、額田女王と大海人皇子と中大兄皇子の三角関係に「ホー――ッ」と溜息をついておりました。二人の皇子に愛されて、でも己は揺るがない。かあっちょええなあ。梅の花散る夜の大海人皇子とのベッドシーンも、雪の夜の中大兄皇子のベッドシーンもそらそらロマンティックで、「井上靖、文学界の重鎮とかゆうとるが、根っこはハ―レクインロマンスやんか。最高じゃ!!じいやん。」(某「愛ルケ」とは根本的にちがう)。
その三角関係の山場が、春の薬狩りの野での歌会。
当時、額田女王はすでに大海人皇子とは切れて、中大兄皇子の恋人だったのだけれど、大海人皇子は未練たらたら。三者ともが和歌の名手であるために、三者三様の思惑の交差する含みのある歌が交わされる。
「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
さらっとこういう歌を歌ったりして、かっこいいぞ、額田女王!!
その奈良時代の薬狩りにちなんだ行事は南薩に長く残り、雛の節句には若い男女がみんなで、お弁当を持って野山に薬草摘みに行ったそうな。それを、明治までやっておったそうな。・・・・・ええやんか~~~!!
復活させよう、そういう行事。
「ノースポール(北極)」の名を持つクリサンセマムです。真冬でもマーガレットに似た可憐な花を次から次へとつけて、たいへん重宝します。
「北極」といえば、故・植村直己氏の「北極圏1万2千km」とか「グリーンランド」とかを踏破した探検記を読むのが大好きでした。極端な寒がりで高所恐怖症のくせに。人はえてして自分に無いものを求めてしまうものさ・・・・・ふっ。
エスキモーのイヌイットが、アザラシの肉を生でしかも腐りかけで食べるのを真似するところとか(口に肉をくわえてナイフで切って食べるんだよ。すげえー―)ね。腐りかけのほうが味がしておいしいそうな。しかも赤肉だけだとパサパサして味も素っ気も無いが、濃厚なアザラシの油を乗せて食べると食べやすくなるとか。ほえええ。
でも一理あるな。豚肉なんかもおいしいのは断然油たっぷりのバラ肉だもんな、うんうん、とかうなずきながら読んだものでした。
トナカイの背中に寄生する虫の幼虫を、手で押し出して口に放り込むところとか(蜂の子みたいな味だそうな)、凄い話満載。・・・・ってまた食べ物の話だけ印象に残ってるのかよ。
あ、あとそりを牽く犬達の話とかね。淡々と朴訥に事実だけを記述してるのに、ドラマッチック。やっぱり凄い探検家でしたね―――。
お客さまのtotto*さんも大好きだとおっしゃるアガサ・クリスティー。私も大好きです。
しかし根っから頭が粗雑にできているもので、「ミステリ」の部分は正直ほとんど飛ばして読んでいるようなものです。クリスティーの何が好きって何といっても雰囲気。イギリスの上流階級が繰り広げる紅茶とスコーンとサンドウィッチのアフタヌーンティー。カリカリに炒めたベーコンと卵のイングリッシュブレークファスト。カードゲームつきの晩餐会。そしてお屋敷で催されるハロウィーンパーティーやクリスマスパーティー。特にクリスマスパーティーはクリスティーが自伝で言っているように特別な思い入れがあるらしく、色んな作品の中に出てきます。んで、そのパーティーがなんとも言えず素晴らしい!
この「クリスマスプディングの冒険」は短編なのですが、それはそれは素敵な田舎の上流階級のクリスマスがでてきます。大量のヒイラギやヤドリギ。大きなクリスマスツリー。吊り下げられた靴下。暖炉の中で燃える丸太。牡蠣のスープに丸々と太った七面鳥の丸焼き。そしてクリスマスプディング。切り分けて上等のブランデーで作ったハードソースをかけて食すしろもの。イギリスではこのプディングにあらかじめ縁起物(ボタンとか指輪とか指ぬきとか)仕込んでおいて、誰に何があたるかで占いをするというゲームがあるのです。このお話の中ではその縁起物が重要な意味を持っていて、謎解きのきっかけになるのですが・・・
もう、謎なんかどうでもいい!という気分になるぐらい、クリスマスパーティーの描写がよろしいのですよ。出てくる食べ物、出てくる食べ物すべておいしそう。「古きよきイギリス」の伝統行事は、意味ありげで由緒ありげですごく楽しそうで上品。
正直言ってクリスマスパーティーが楽しかったことはあまりないのですが・・・「こういうのだったらいいなあ」と思わせる、文字通りのホームパーティー。ホームパーティー好きには必見の書でございます。
「寒~い寒いぶるぶるぶる」という、内容ばかりが続く今日この頃。12月の積雪としては、鹿児島気象台始まって以来の積雪量だということです。
雪ですら慣れないのに、氷河とか万年雪とかどんな世界なのでしょうね。おそろしく透き通って青い青い水晶のような場所。19世紀のボヘミアの作家シュティフターの短編集「石さまざま」の中に、「水晶」という美しくも荘厳な傑作短編があります。
クリスマスイブの夜、ボヘミアの山岳地帯の小さな谷間の村の幼い兄妹が、山の麓の祖父母の家から谷に帰る途中で道に迷ってしまい、不毛の氷河で遭難してしまいます。幼いなりに山育ちの二人は、知恵をあわせ力をあわせて、大人でも遭難死するような(わたくしのような寒かごろは一発ですわ)過酷な状況を乗り切り、奇跡のような山のクリスマスイブの光(オーロラでしょうか?)を見て、翌朝生還するというお話。
日本ではあまりなじみのないボヘミアの山岳地帯のつつましくも豊かな暮らしぶりや、侠気のある少年の父親(山男で靴作り師)や祖父(資産家の染物屋)たちの無口だけれど質実な性格、その強さを受け継いだ少年の知恵と勇気と優しさ、けなげでかわいらしい妹が、兄を信頼しきって発する「そうよ、コンラート!(ヤー、コンラート)」という言葉の響きの美しさ。本当に大好きなお話です。
兄妹に祖母が持たせた子牛の皮のランドセルの中身が、質素なんだけれどめちゃくちゃおいしそうでした。ハタンキョウのキャンディー。ふかふかの白パン。そして特別に濃く淹れた「体の芯からほかほかと暖まってくる」コーヒー。結局遭難した兄妹は、このコーヒーを少しづつ飲むことで、睡魔に抗い凍死しなくて済んだのでした。
翌朝、奇跡の生還をした兄妹を父の村と祖父の村から協力して出ていた捜索隊のメンバーが見つけ、そののろしを見た教会の神父様が、延期していたクリスマスイブのミサをあげ、下山の途中山々に透き通った鐘の音が響き渡る・・・・・
「それまで、上の村の子でも下の村の子でもなかった二人は、今やまぎれもなくふたつの村の子でした。」娘の結婚に反対で、しっくりいってなかった祖父の染物師と父の靴作り師も、自然に和解し、「奇跡の夜を境にふたつの村はひとつの村のように行き来をするようになりました」
「ホワイトクリスマス」という単語を聞くと、いつもこのお話を思います。
夕方モモ(紀州犬雑種・女の子・4歳)がすごい勢いで家の中に飛び込んできて、「くうううん、くうううん、キャキャン!」と大騒ぎでした。また遠雷がなっているようです。
天気図で見る限りでは、日本列島に縦に10本ぐらい等圧線が走っているようなモウレツな東の低気圧と、大陸に高気圧が鎮座してました。典型的な西高東低の冬型の天気です。実はうち近辺ではすごい勢いで雪が降っているのですが、残念なことにカメラに写りません。
「鹿児島市のチベット」とはいっても所詮は南国鹿児島のこと、1mも2mも一晩で積もってしまう雪国の苦労は想像もつきません。広島の中国地方の山のてっぺんに嫁に行った妹のところでは、もうかなりな雪が積もっているそうです。というより前回の雪が溶けてないのですと。ひゃあああ。そういうお話、いっそ怖いです。
小泉八雲の「雪女」は美しくも恐ろしく神話的なお話ですが、あのお話の舞台は決して雪国ではなく、関東地方だそうです。だから雪の夜は雪洞を掘って潜り込むのが(雪国のかまくらのように)一番暖かく、雪国の人間だったらそれをよく承知しているのに、「雪女」の炭焼き二人は、一番体温の下がりやすい小屋に泊まってしまったのだと。
知らぬということは恐ろしいことです。
なんにせよ、子供の頃白紫池(九州で唯一天然氷のはる霧島の池)にスケートに連れて行かれ、あまりの寒さにものの十分も滑らぬうちに泣いて帰った経験のある身としては、その後「スキー、スケート、スノーモービル」などという「雪」とか「氷」とかいう単語のつくものには金輪際近寄らぬようにしています。スキーを知らずとも人生オッケー!君子危うきに近寄らず。
お~い~し~ですよね~♪ななさんじゃないですが「日本人に生まれてよかった」です。
単純におろしてよし、ふろふきによし、おでんによし、薄揚げと深ネギとお味噌汁、おろしダレにしてお鍋に、豚や鶏の揚げたのに付け合せ、蕎麦に、うどんに、たくあんに、バリエーションに果て無し。さらに大根葉も栄養があっておいしい。浅漬けにしてカツオブシと混ぜたり、卵焼きに刻んで入れたり、巣篭り卵にしたり、ベーコンと一緒に炒めたり・・・・・みなさんも、ご自慢の大根料理がおありでしょう。よろしければお教えください。
大根といえば今昔物語で、こんな話がありました。
「一日二本の大根を焼いて食べれば、息災である。」と信じていた人がいて、その通り毎日食べていたそうな。みんな「何をあほなことを」と笑っていたが、ある日その人の家に強盗が入り、あわやという危機に、なにやら白い人二人が駆けつけて、強盗を撃退したそうな。あとでわかったがその二人は大根の精であったと。人々は「何事も信心一筋にすれば、いざというときに助けがはいるものであるよ。」とうわさしあったと・・・・・
・・・・・って「大根のガードマン」って、変。
確かに風邪よけになるし、胃腸の調子も整える栄養満点な野菜だけどさ。昔の人って変なこと考えるよねえ。
またこれがいい~花なんですよ。ぼってりしてるんですが、淡桃地のぼってりした花弁の外側になんともいえない微妙な紅のボカシが入ってます。色っぽい。
あああ、もうちょっと写真が上手だったらなあ・・・。
「西王母」って中国神話の仙女の親玉なんですよね。「西遊記」にもでてきます。3千年に一度だけ実がなって食べるといつまでも若く長生きできるという桃の木を持ってるんです。蟠桃会というそれのお披露目パーティで大暴れしたのが孫悟空。ちょいと年増だけどいかにもそういう桃の管理人らしい色っぽい姐さんが西王母。この椿にもふさわしい名前です。
一重、筒咲き、中輪、9月~4月が花期。葉はやや長楕円の中形。樹形は立性で強し。もともとは幕末に金沢でできた品種らしいです。いかにも古都金沢にふさわしい。金沢には「加賀侘介」という銘花があるのですがその自然実生との説あり。
うわああ~!すみません、間違いました!!お客様の麦の花さんからご指摘がありました。(青い顔)
「お蔦・主税の湯島天神」は泉鏡花の「婦系図」で、下駄を履いて女を蹴飛ばすのは尾崎紅葉の「金色夜叉のお宮・寛一」ですと!主人公のカップルの名前を間違えてましたよ。恥ずかし~~~!みなさんでたらめは速やかに忘れてください。
本当にありがとう麦の花さん。(しかもメールで送ってきてくださるという奥ゆかしさ。感動しました。)これからも、おバカな間違いをしてたら教えてください。他のお客様のみなさまも、どんどこ教えてください。お客様の賢者の一人totto*さんのセリフではありませんが、愚かなる春であっても一歩一歩、日一日と「賢者への道」をみなさまのおかげで歩んでいけますのです。
というところでまたまた「蔦」の名を持つ花、椿「蔦紅葉」(つたもみじ)が咲いています。おもしろい花で桃色の花弁の1枚おきに白い雲状斑が入るのです。確認してみるとほんとにどの花も一枚おきに斑が入っています。「好き、嫌い、好き、嫌い」と花占いをするとおもしろいかも。一重の平開咲、サザンカ芯、中輪、花期は11~3月です。葉は長楕円で中形、樹形は横張り性。立寒と攸県油茶の種間雑種。新潟県原産で1988年発表です。これも、趣があって好きな花ですが、畑の奥に生えていて長い間忘れ去られていました。ごめんね。
「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉、今のわたしにはいっそ死ねと・・・」
「お蔦・主税の湯島天神」、「金色夜叉」の中の一節らしいですが、原典を読んだことはありません。学生服・学帽・マント・高下駄の兄ちゃん主税が、着物のねえさんお蔦を砂浜で蹴飛ばしているシーンだけ知っています。いつも「それドメバじゃないの?」とか、「なんでそんな優男蹴り返さねえんだ?お蔦。着物だからキックできんのか?」とか「いっそ下駄を取り上げてはったおせ!」とか思ってしまう現代っ子なもので、食指が動かないんです。しかしこうまで片鱗が残っているということは、何か感動させるようなところのあるストーリーなのでしょうか?ご存知の方、最後まで読んだことのある方、よろしければお教えください。
なんにせよツタを建物に絡ませるのはよくありません。確実に建物が傷みます。「ツタの絡ま~るチャペールで祈り―をささーげた日~♪」という歌もありますが、たとえ煉瓦造りのチャペルでも絡ませすぎると煉瓦の接合部や煉瓦そのものにツタの根が入り込んで最終的には崩壊してしまいます。なよなよしているようでたいへんしぶとく生命力の強い植物なのです。
「金色夜叉のお蔦」も実はそんな女性なの?騙されたり泣かされたりした被害者は主税のほう?そういうお話明治にはいかにもありさげですけれど。
絵であれ音楽であれ文章であれ、人の顔、体、建築物、数式、香りetc.etc.・・・・・、「何かを美しいと思うこと」は「運命」です。
それを「美しい」と感じることは誰にも止められないし、また誰かが何かを「美しい」と感じることを止めさせることはできません。おかげさまで「世界は美しいものにみちみちとる!」と感じまくっている毎日ですが、「美しいと感じるものが無い人生」というのはさぞかし空しかろう、と思います。
絵師・山田章博氏(イラストレーターより絵師)の絵は、昔からそらもう大好きで超絶美しいと思うとります。デッサン、構図、タッチ、色使い、なにより雰囲気。ワンパターンに決して陥らない絵描きとしての知性。・・・素敵。
この「十二国記シリーズ」(講談社X文庫・小野不由美著)のイラストは特に出色だと思います。(もっとも山田章博氏の絵に”はずれ”はないんですがね)。NHKでアニメにもなっている、いわずと知れた大ヒット作ですが・・・。この作品のイラストを、もう山田章博氏以外の誰が描けましょうや。主人公の赤い髪の慶王・陽子、陽子の宰輔・黄色い髪の慶騏(「十二国記シリーズでは、架空の異世界に十二の国があって、その国それぞれに『王を選び補佐する麒麟』がいるのであります)の人物デザインもいいですが、なによりこの表紙の二人、延王・尚隆と延麒・六太のデザインが出色。一目見たら惚れますぞ。ああ――自分の写真のド下手さが悔しい!
もちろん小野不由美氏の小説も素晴らしいですが、山田章博氏の絵はその魅力を陪乗してると思いますがねえ・・・。この作品がヒットした後、講談社は絵抜きの講談社文庫版を出してますが(大人向きって事?)、山田章博氏の絵は充分大人の鑑賞に堪える絵だと・・・いや、大人にこそ見て欲しい絵なんですがねえ。
赤くてぷりぷりして一見おいしそうなのですが、これは毒草です。青酸系の毒を含み食べると激しい嘔吐と呼吸困難をおこします。コワ―――!
巷では毒物が話題になっていますが、怖い毒というものは身近になんぼでも存在しとるわけです。夾竹桃、レンゲツツジ、すずらん、シキミ、彼岸花、福寿草、チョウセンアサガオ、ポインセチアetc・・・・・全部普通にそこらに生えてます。だいたいジャガイモの芽からして毒だっちゅうの。こういう「身近な毒物を使った殺人」をよくテーマにしたのがアガサ・クリスティでしたな。ミス・マープルシリーズ大好きです。いかにもイギリス人らしい優雅でユーモアのある生活の中に、忍び寄る人の心の毒と現実の致死毒。ドキリとするような残酷さも流麗なクリスティの筆にかかるとある種の美しさすら感じさせてくれるのです。やっぱ「杉の柩」ですかね。あとどういうわけか「パディントン発4:05分」が大好きなんですよね。オクスフォードの数学科を主席ででたのに家政婦をやってる若くて美人のスーパー家政婦が大活躍します。どちらも毒物が使われてたな。「マッシュルームはたいへん危ないのよ」というセリフもでてました。あちらじゃ生で皮をむいて食べるのでよく中毒するらしいです。ああ、ここにも毒物。いくら毒物の管理を厳重にしたところで、殺意のある人間からこの世の毒物の全てを隠し通すことはできません。あとは身近な人間が「殺意をもっていない」こと、そして自分も「殺意はない」ことを信じ合うしか手はないのです。その信頼関係こそが社会というものでしょう。
黄色い菊の花のエントリーで、「菊花の契り」についてコメントしてくれたお客様の「大阪しまねこ」さんは、実は学生時代の同期なのです。
いつも親身になってくれたすごくいい人なのですが、 なんせ鹿児島のど田舎から関西に出てきて自分のことでいっぱいいっぱいだったお馬鹿ちゃんだったので、その恩に全く報いてません。しかも、大阪から鹿児島に帰ってきてばたばたしている間になかなか連絡もしてなかった無精者を、よくぞ見捨てずにいてくれたと思います。その間彼女も激動の人生でかなりハードなことがあったようなのですが、いつの間にか会社を立ち上げパワフルにやっている現在です。古い友人が元気なのはこれほど嬉しいものなのですね。
不思議なもので近所にいた時分は、好きな本とか趣味とかあまり深く話していなかったのに、こうしてお互いがブログでやり取りしていると「へええそうだったのかぁ、あれが好きなの、変なやつぅ(誉め言葉)。」と発見があり、「ネットとはこりゃすごいもんじゃのう。」と改めて思う昨今。そういえば「ネットやれば。」と奨めてくれた一人でした。ほんとうにありがとう。
表題の「菊花の契り」は上田秋成の「雨月物語」の中の1篇で、名目上は「互いの志を知る武士同士の命をかけた友情物語」ということになってますが、そこは上田秋成、なにせ「菊花」ですからねえ。もろホモホモ天国江戸時代を反映したお話になってます。主君の仇を討つために潜伏する男が、道中病に倒れて看病してもらった男と深い友情と兄弟の契りを結びます。「来年の菊の節句にお会いしましょう。」との約束を残して仇討ち男は旅立つのですが、待てど暮らせどやってこない。「今夜はもういらっしゃらないのか・・・」とがっかりしていたら真夜中にかの人がやってきた・・・。大喜びで心づくしの馳走と酒を振舞い友情を暖めあうが、翌朝にかの人の気配がふっと消える。実は約束のその日仇討ち男は拘束されていて、「このままでは約束を破ってしまう。せめて魂だけでも飛んでいきたい」と切腹して果てたのだ・・・と後に人づてに聞き看病男は大泣きしました―――。という話なのですが。いやあ、二人の男の会話がね、ネチコイのですよ。ベタベタしているのですよ。「ああ、いかにもその道の人たちの会話ね・・・。」って感じなんです。大げさで美意識全開。おもしろいんですけどね。
今日は白い菊が咲いていたので、なんとなく「ホモ話好きの友人」しまねこさんを思い出してしまいました。いや、しまねこさんとわたくしの間にはなんの「契り」もありませんよ。双方その方面に関してはいたってノーマル(のはず)。
植木屋の父が砂に箒目を立てるときに(竜安寺の石庭のように)使っていたもので、だいぶ年季が入ってサビてます。しかし、めーの干草を集めたり、小屋を掃除したりするには充分なので大活躍中です。
まぐわといえば「西遊記」で猪八戒が武器にしているのが「八本歯のまぐわ」でした。正確には「馬鍬」なので、もっと大きいやつのことなのでしょうが形は一緒ですね。だいたい「西遊記」の中の武器はへんちくりんな物ばかりで、孫悟空が使っていたのは如意棒。あれなんか大昔の洪水のときに水位を測定したモノサシだったという設定。モノサシだのまぐわだのを武器にするか―――?あと一煽ぎで全てを吹き飛ばしたり火炎山の火を吹き消したりする芭蕉扇とか、投げつければどんなものでも縛り付ける帯(名前忘れました。大げさな名前がついてました。たしか観音様の帯だったよな。)とか、思いつくだけでも変な武器大集合。いかにも大陸の話らしい荒唐無稽でばかばかしいまでに大げさな話ばかり。「西遊記」大好きなんです。また読み返したくなってきました。
11月3日は「晴れの特異日」で、晴天の確率が高く前後に雨が降ることはほとんど無かったはずなのですが・・・。
どうしたことでしょう。clustrさんがそぼ降る雨の中行列の先頭で(すごいです)「おはら祭り」で踊って以降もぐずぐずしたお天気が続いています。なんだか体もだるいし、雨が降ると寝転がって(行儀はなはだ悪し)ミカンを食べながら本を読みます。
まあ、予想通りというかやっぱりというか京極夏彦氏の大ファンであります。「故獲鳥の夏」を初めて読んだとき、いやほんとに頭をガーンと殴られたようなショックでしたね。そして自分が日本語圏の人間であることを神と仏に感謝しました。日本語であってこそ表現できる世界だと思ったし、「翻訳や映像化は不可能でしょう」と思いました。スティーブン・キングの小説の映像化がうまくいかないのと同じで。案に反して「故獲鳥の夏」は映画になってしまいましたが観にいってません。どうかなあーと。原作のイメージってモノがあるでしょう。古本屋にして武蔵晴明神社の神主にして憑き物落としの京極堂役の堤真一、精神衰弱の小説家関口役の永瀬正敏、どちらも嫌いな役者さんではありませんが、どうかなあー。唯一華族出身にして長身美貌で頭脳明晰で破壊的性格な探偵の榎木津役が阿部寛と聞き「うむ!今の世ではこれしかあるまい!最高のキャスティング。」と膝を叩きました。榎木津、もぉー――大好きなのです。「京極堂シリーズ」はもちろん全部持ってますし、全巻最低5回は読み返してますが、いまだに榎木津が出てくるたび「出たぁ―――!」とか思いますもん。また出方がいちいち超ド派手なんですもん。歌舞伎の千両役者もかくやとね。
ですから全編榎木津大活躍の、「京極堂シリーズ」のいわば番外編「百器徒然袋―雨―」(講談社)は一番のお気に入り。京極夏彦の本は「分厚い、漢字が多い、難しそう。」と敬遠される向きがありますが、それは誤解です(いや分厚いし漢字が多いけど)。難しくないのです。実にわかりやすく明解な文章ですらすら読めるし、なおかつお馬鹿なのです。文字通りおもしろくて笑えるのです。特に本書は・・・笑いますぞ―――!「メフィイスト」という雑誌で連載していたとき立ち読みしていたのですが、思わず本屋で大笑いしてしまい、店員と店中の客の視線を集めてしまったという恥ずかしい思い出が・・・。榎木津お馬鹿パワー炸裂!「京極堂シリーズ」を最初から読まなくてもこの本からだったら入れるんじゃないかなあと思います。あ、それとこれも誤解されてますが決してホラーではありません。あくまで探偵小説なのです。
このスズメバチさんたちには何の恨みも無いのですが・・・。マジで「刺されると死ぬこともある、日本列島で一番危険な野外生物」なので、申し訳ないけれど成仏していただきました。
六角形の穴の中に白い幼虫がみっちり詰まってい るのがご覧になれるでしょうか?白い蓋は繭で中に羽化する前の幼虫が入ってます。50―60匹ぐらいの幼虫が詰まってました。もしこれが全部成虫になっていたら・・・。とぞっとします。あとは鼠算式に増えていくのです。すでに30-40匹ぐらいの成虫が出入りしていたと思います。女王蜂の姿を探しましたが見つかりませんでした。薬をかけて放置していた間にどこかに落ちてしまったのでしょうか。何はともあれごめんね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。
そういえばスティーブン・キング氏の大傑作「シャイニング」の中で(キューブリックの映画、あれは全然別物)、スズメバチが「邪悪と恐怖の象徴」としてすごく印象的に使われてましたね。物語にも感動しましたが「おお、アメリカにもスズメバチがおるんか。んで、アメリカ人も困っちょっとじゃね。」とちょっと笑いました。
数日前から「香りはすれども姿は見えず」だったのですが、お宮さんの庭に咲いてました。うちの老大木は夏に剪定してしまったので今年は花をつけないようです。
色を「『金銀』で対にする」というキンキンギラギラな発想はどうにも大陸的な匂いがします。
日本ならば『黒白』、もしくはおめでたくて『紅白』でしょう。
『金銀』で思い出すのは「西遊記」の「金角・銀角」です。ああいう派手派手しい悪党兄弟に金銀の名をつけるところが、いかにも大陸的。「ジャァァァ――――ン」と銅鑼の音が聞こえてきそうです。あ、そういや日本でも室町から戦国にかけての派手で婆沙羅な時代には『金銀』が流行ったのかな。「金閣寺・銀閣寺」。秀吉の「金の茶室」。金木犀が中国から輸入されたのも17世紀、戦国時代が終わろうとする頃?何にせよその頃輸入した人はちょっと気がきかない人で、日本の金木犀・銀木犀は雄木だけなので、花は咲けども実を結ばないのですって。そりゃせつねえよ。それとも「衆道全盛・ホモホモ天国」だった当時の日本にはふさわしかったのかな?
モンキアゲハが刀折れ矢尽きた風情で止まっていました。(もっともそうでなければ蝶々を写真に撮ることはできません)。
モンキアゲハの幼虫はミカン科の木の葉っぱを食べるので、彼女もうちのミカン科、レモン、かぼす、柚子、山椒etcに卵を産みつけていることでしょう。おお、来年が怖い。しかしここまで消耗しながらも目的を果たした姿、敵ながらアッパレ。弱っていてもつくづく美しい生き物であります。
山田詠美氏の小説の中で、幼い少女が同じように幼い想い人の少年に、蝶々をプレゼントされるシーンがあります。少年は少女を喜ばせようと、美しく大きな生きた蝶々の羽を毟り取り、鱗粉を撒き散らしながら細かくちぎって、紙ふぶきのように少女にかけるのです(!!!!!)。
これほど美しく残酷で強い表現があるでしょうか?少女は少年の自分への愛を知らされながらも、あまりの美しさに、残酷さに、言葉を失います。そして少年に感謝することも、責めることもできず、その場に突っ伏して嘔吐してしまうのです。―――ああ、こーんなちっこくても男は男で女は女だったんだなあ。少女が少年に求める愛と、少年が捧げる愛はすでにこんなに違う。その現実は残酷だけど、だからこそお互いがいとおしいんだなあ。――
短い簡潔な文章で、こんなにも的確に感動的に描写できる、山田詠美氏という人はすごいなあ。それ以来ずっと好きなのであります。
「なぜ突然貝殻?」といぶかしく思われる向きもおありでしょうが、今、アサリ、シジミ、ハマグリなどを食した後の貝殻を、木槌で砕いて地鶏くんご一家(特に奥様方)のお食事に混入させていただいてるのです。もちろん奥様方がお産みになる毎日の卵の殻を(今でもかなり硬いのですが)硬くしてもらおうという魂胆です。おかげさまでどの鶏も食欲旺盛で、卵も初卵のときに比べて大きくなってきています。ときどき一日4個の時もあり、いよいよ来るべき秋冬に向けて、お待ち兼ねの皆様にご提供できるものと存じます。
などと、思いながらつくづくとハマグリの貝殻をながめておりましたのですが、また「古事記」のオオクニヌシノミコトの話を思い出しましてね。オオクニヌシ様はハマグリと赤貝の女神に命を救われているのですよ。
だいたい、オオクニヌシ神話には、そりゃもう徹頭徹尾女の影がつきまとうんですけどね。オオクニヌシ様には80人(すごい数です。ビンラディン以上です。ま、『多くの』ぐらいの意味ですか。)の兄上がいたんですが、この兄たちとともに美人と噂のヤガミヒメに夜這いをかけに行きます。その途中で会うのが有名な「因幡の白兎」。「かーわをむーかれて赤はーだか♪」で泣いているウサギちゃんなんて、もろ女でしょう。兄上たちがだまして塩水に漬けてひどい目にあわせたのに、オオクニヌシ様だけが体を真水で洗って「ガーマの穂綿にくーるまーれとー♪」教えてあげたので、ウサギちゃんオオクニヌシ様にほれ込み「あなただけがヤガミヒメを手に入れるでしょう。」と予言。その通りになって嫉妬しまくった兄上たちが、山から焼けた大岩を「赤イノシシだからしっかり捕まえろ」とか騙して転がし落とし(なんちゅう騙し方をするんじゃ)、オオクニヌシ様を焼き殺します。
それを嘆き悲しんだ母神様が、カミムスヒノ神に訴えて、キサガヒヒメ(赤貝ヒメ)とウムガイヒメ(ハマグリヒメ)を遣わしてもらうのです。キサガイヒメはわが身を削った粉を出し、ウムガイヒメは乳房から汁を出してそれを混ぜ合わせ、オオクニヌシ様の火傷に塗りつけます。するとたちまちオオクニヌシ様はよみがえり、元通りの美丈夫となりました―――。
とな。
ママがでてきて命乞い。遣わされた薬師は二人とも女。もろ肌脱いで我が身を小刀で削る女と、乳房からお乳を出してそれを混ぜ合わせる女、彼女たちが火傷をして裸で横たわる男にそれを塗りつけていく。最初読んだとき、そのあまりにエロティックなイメージでくらくらしましたよ。
この後もオオクニヌシ様はあっちこっちのヒメに妻問いをしまくり、そのたびにトラブルに巻き込まれて、またそのたびに女に助けられておるのですな。(女にもてるからこそのトラブル?もともと男に嫌われる男のタイプ?)例外はスクナヒコナノミコト逸話ぐらいですか。深読みすればあれも賢い少年を寵愛する話ととれなくもない。なーんかやることなすことどうもすけべえの匂いがする神様なんですね。だからこそ、出雲大社が日本一の「縁結びの神様」なんでしょうが・・・・・(恥ずかしながらあたしゃ5度も参拝してます)。
ハマグリはよく食べるんですがね。よくオオクニヌシ様の話を思い出すんですよ。「ハマグリは女性器の象徴」とは、民俗学じゃよく言うことですしね。
ましてや今日から10月、出雲に神様が集まって、それ以外の日本中が「神無月」、ちっとやそっとご無礼なことを考えてもバチは当たらんでしょう。
「古事記」によれば大黒(オオクニヌシノミコト)様とネズミは深い縁があるのです。
オオクニヌシ様がお兄様たちの陰謀によって、草原で四方から火を放たれて、あわや蒸し焼きにされようかという危機に、ネズミが現れて「内はほらほら、外はすぶすぶ。」(ここは原文のままです。『ほらほら、すぶすぶ』って、『古事記』のくせにかわいいぞ)と申しましたそうな。とっさにオオクニヌシ様が足元を踏みつけると、地面に入り口が狭くて中が空洞になっている洞穴が出てまいりました。すぐその中に潜り込み、炎から身を遠ざけることができたのでした。それ以来ネズミはオオクニヌシ様の使いとなったのでございました。
「古事記」の中でもオオクニヌシ様の逸話が一番おもしろうございます。陰謀、智謀、恋愛、―――。恋に真剣で実に熱心に口説かれますが浮気者の子だくさんで、根はまじめなのにトラブルの絶えない、まことに人間くさいお方で―――。ネズミモチの実が強壮・強精の妙薬なのも暗示的でございます。
秋草の意匠は日本画や工芸品、着物の柄、茶碗の柄、とにかくありとあらゆるところにございますなあ。われわれ日本人の潜在意識に刷り込まれているといっても過言ではありますまい。ススキやメヒシバ、オヒシバ、小菊、萩、などなどの秋の野草が風に揺れる様を、細い線で描いている寂しい意匠ですけどね。だから、葬式関係のグッズには欠かせませんな。
江戸時代からそういう美意識はあったらしくて、幽霊絵のバックの、廃屋とか破れすだれとか破れ蚊帳にあしらって、凄惨な雰囲気を醸し出しております。怖いよー。お盆の暑い真っ盛りより今時分のほうが怖い。夏に栄えた草薮に衰えが目立ち、日の暮れるのが早くなる時期。思いもよらず遅くなってしまった誰そ彼時、廃屋の枯れかけた背の高い薮の向こうに見てはならないものがのそりと立っていそうな気がいたします・・・。
そういう「秋草のむこうの恐ろしさ」を刷り込んでくれたのが、上田秋成の「雨月物語」で、とくにその中の「吉備津の釜」であります。怖かったなあー。話そのものは岡山の吉備津神社の神主の娘の磯良が、遊び人と結婚してしまい、案の定夫は他の女と逃げ、恨みのままに死んだ磯良の亡霊が女と夫を憑り殺すというありがちな筋なのですが。なんかもう雰囲気が、じくじくじくじくしてて。しょっぱな結婚の吉凶を吉備津神社の釜で占うんだけど、「吉ならば釜はをんをんと吠え」「凶ならば釜は黙して鳴らず」で、湯気はもうもう立てどシーンとして鳴らず。その「シーン」とした沈黙がやなのよ。他の女と逃げた夫だったけれど、逃げた先であっという間に女は熱病で死ぬ。嘆いてその女を葬った墓参りをするんだけれど、それが秋草真っ盛りのシーズン。日が傾いて揺れる秋草の中で、他の墓に墓参している下女を見かけ、悪い癖でナンパする。誘われるままその女の家に行き、「病に伏している」女主人と対面。秋草模様の屏風の陰からのそりと現れたのは、なんと捨てた妻磯良!美しい顔の頬はこけ、顔は青白く、髪は乱れ、恨みにゆがむ。あまりの恐ろしさに気を失って、気が付けばそこは野中の秋草茂る廃屋の中。
走り逃げて徳の高いお坊様に泣き付き、なんとか磯良の恨みをやり過ごしたいと策略するのでありますが、最後の最後がまた凄まじかったです。結局憑り殺されたらしいのだけど、その「痕跡」だけが残ってるの。秋の清澄な月明かりの元、男の部屋の入り口に吹き出た血痕、そして竹の垣根に男の髻(つまりちょんまげ)だけが引っかかって、秋風にゆらゆらと揺れている・・・。ひー――――コワー―。
今時分の誰そ彼時、秋草の野は恐ろしいです。とても美しいと思うのに。いや美しいからこそですか・・・。
「野分」が「台風」のやまと言葉なら、大西洋岸のそれは「ハリケーン」。
台風14号とハリケーン「カトリーナ」でお亡くなりになった方々のご冥福と、行方不明の方々の一刻も早い救出をお祈りいたします。
たいへんな雨風であったが、我が家は無事。もっとも庭も畑もシッチャカメッチャカなので後始末を考えるとうんざりするが。後始末ができるぐらい無事で何よりであった。
台風で家にこもっている以外しょうがないとき、なぜかいつもスティーブン・キングを読んでしまう。去年の台風では「It」だったが、今年は「the Stand」である。(もちろん日本語訳。原書なぞ読めません)。大嵐の夜に、世界の破滅と救済をこれでもかこれでもかとばかりに俗な文章で綴っていくキングの小説はぴったりだ。
「the Stand」はカリフォルニアの軍事施設から致死率99.4%のインフルエンザウィルスが流出して(もちろん軍事用に開発されたもの)、2週間の間に合衆国全土が壊滅するところから話が始まっている。ここから話が始まるところが、実にキングらしいのだけれど。生き残った0.6%以下の人々が目を覆いたくなるような凄惨な現実から、ほとんど内戦に等しいような東と西の争いを経て、なんとか未来の希望を掴み取ろうとするところまでを、最初はSF、そしてファンタジー、ホラー、ロマンスあらゆる要素を総動員で描いている。なにせ上巻790p、下巻654pという「顔にかぶせて寝たら窒息するぞ」というほどの大冊なので、たとえ24時間嵐に閉じ込められても「もう読み終わってしまったよう。次は次は」と家を探し回らなければならない心配がない。
シニカルなキングは、合衆国の政府も軍隊もまったく信用していない。致死率99.4%というあまりにも危険なおもちゃを作り出しておきながら、その後始末がまったくできないどころかパニックを拡大していく無能を、一流のクールさで表現していく。こういう表現者が20年近くも「ホラーの帝王」として君臨し、ベストセラー作家であるところがアメリカという国の一筋縄でいかないところであると思う。今回の「カトリーナ」についてキングはどう思っているのであろうか?コメントを聞いてみたい。
「せやから京都議定書にサインせえゆうたやろ?ブッシュJr」と世界のあらゆる言語でツッコミがはいっているはずであるが・・・。はたしてキングは?
源氏物語の「野分」は台風前後の話である。時の権力者となった光源氏の邸の台風見舞いにうかがった柏木は、折からの強風で巻き上げられた御簾の向こうに、美しい女三宮の姿を見てしまう。女三宮は形式上とはいえ光源氏の妻の一人。絶対に懸想してはいけない相手にもかかわらず、そこがつける薬がない恋の道、とうとう思いを遂げた柏木。案の定その一夜で女三宮は子を身篭り、光源氏の知るところとなる。激怒する光源氏だが、実は光源氏とて若かりし頃、義母に懸想してあまつさえ子を産ませ、その子が今上帝となっているのである。人のことを怒れた義理ではないのであるが・・・。怒りのおさえようもなく、柏木にありとあらゆる精神的プレッシャーをかけて死なせてしまう。残された女三宮は柏木の子を産み、光源氏はその子を我が子として抱く。「あのとき父上はどんなお気持ちだったのだろうか?・・・」と思いながら。
源氏物語はそりゃもう果てしなくエロティックな話である。「うおおっ、すごい!」ありとあらゆる性愛と背徳を描きながら、とてつもなく美しい。
高校時代に古文で習った源氏。あれ何?なんで日本が誇る大河ロマンをあんなずたずたに切り刻んで、しかも一番おもしろくないというかイントロというかそういうところだけピックアップしてるの?その上恋愛のセンスも美意識のかけらもない、「文法命」な古文教師だったもんだから、「これはお経か?」と拷問のようにつまらなかった。「高校生にエロスはいらん。」ということ?光源氏は12歳で年上の女と結婚してるんだよ。
大学時代の友達に薦められて読み返し、「だまされた―――!こげなおもしとか本じゃったかあああ!」と叫んだ。
明治の文豪志賀直哉の短編に「清兵衛とひょうたん」という作品がある。清兵衛という少年が、ひょうたんを育ててその実を加工することに少年らしい熱心さで取り組み、大人顔負けの加工技術を持つようになるが、父親が彼の情熱をまったく理解せず、チクチク文句を言った挙句ある日清兵衛のひょうたんをすべてぶち壊してしまうという話であった。「明治の昔から、親ってのは子供が夢中になることを胡散臭くおもってたんだんだなあ・・・。」とその頃(今も)マンガばっかり読んでびりびり怒られていたので、親近感を持ったことである。さらに、その中で語られる清兵衛のひょうたんの加工テクがたいへんおもしろく印象的であった。
いわく、
「どぶに沈めて中を腐らせたひょうたんの口を切り、種を出し」「そのひょうたんを掘りごたつの中に入れて表面に汗をかかせ、」「すかさず父親の晩酌の酒の飲み余しで、丁寧にその汗を拭いていく」「それを、1週間以上続ける」というような内容だったと思う。おもしろそうだったので自分もやってみようと、ひょうたんの種を一袋植えた。が、お馬鹿な子供だったので、双葉が種の殻をかぶって出てきたのを助けてやろうとして種の殻を無理やり双葉から毟り取り全部枯らしてしまった。
志賀直哉は「日本文学史上NO.1の美男」といわれる作家である。確かにいいかげん爺になった写真でも、瞳がきらきらした美しい頭蓋骨の形をした顔が写っている。モテたらしい。さもあらん。
ひょうたんには魔力がある。昔からひょうたんの出てくる話は妙に印象に残る話が多かった。「千夜一夜物語(いわゆるアラビアンナイト)」の中の「船乗りシンドバッドの航海」の中の「海の老人」の話の中にも出てくる。
航海で遭難したシンドバッドは無人島にたどり着き、そこで痩せこけた老人に出会い、「わしをおぶってくれ」と頼まれる。実はその老人は「海の老人」という妖怪で、日本でいう「おんぶおばけ」みたいなものだったのだ。老人はシンドバッドに肩車をさせたまま、一日24時間離れなくなってしまう。こわー。その上「あっちへ行け、こっちへ行け、」と好き放題に指図し、いうことを聞かないと落ちる寸前までシンドバッドの喉を太ももで締め付ける。このときの、シンドバッドの老人に対する肉体的な嫌悪感が妙にリアルでね。犯されてる感じみたいな・・・。結局ふらふらになったシンドバッドは、島にひょうたんと葡萄が成っているのを見つけ、老人の隙をうかがって、ひょうたんの中に葡萄をつぶして詰め込み、葡萄酒を造る。これがなあ、いかにもうまそうなのよ。わたしは酒が飲めないのに、匂いまでしてきそうだった。先に嫌悪感のリアルさがあるから、この鼻や舌の感覚もリアルに感じたんだと思う。案の定妖怪「海の老人」もそのひょうたんの中の酒にひかれて、シンドバッドから無理やり取り上げて、一杯やり始める・・・・・。
「千夜一夜物語」って大人向けの話だよねえ。まことに助平で残酷な話ばかり満載なのに、「子供向け」とやらに改悪して、一番おもしろいところをカットして読ますのはどうかと思うよ。世界的古典を「なんだこんなもんか」と思うのは返って危険だよ。危ないところを読ませたくないなら、最初から読ませるな。「大人だけが楽しめるのよ。早く大人になりなさい。」でしょ?
ひょうたんには魔力がある。お知りあいのルルママさんなど、沖縄から種を取り寄せ、ベランダ栽培してしまうほどとりつかれてしまった。彼女いわく「加工する楽しみがあることと、縁起物だから」まあ、工夫次第でなんにでも加工できるなあ。そして縁起物。まず思い出すのはあれだ。「足を折った雀の怪我を治した老婆が、お礼にもらった宝のひょうたんの種」の話。ばあさんのところにある日手当てした雀がやってきて、ひょうたんの種を落としていく。
その種から生えてきたひょうたんは立派な実を成らせ、喜んだばあさんがそれを酒を入れる容器にしようと口を切ったら、中身が異様に重い。何事かと逆さに振ったら、さらさらと白いお米が尽きることなく出てくる。結局そのばあさんの生きている限り、ひょうたんのお米は尽きず、自然ばあさんの家は長者となった・・・という話。一番古いところで今昔か宇治拾遺物語あたりに載ってなかったっけ?時代が下ってくるとそれに「隣のいじわるばあさんが欲張って大失敗する話」がついてくるんだよね。教訓臭く。嫉妬したとなりのばあさん、わざと雀に石を投げて足を折り、恩着せがましく手当てして、「ひょうたんの種もってこい」と放す。雀のもってきた種を植え、そのひょうたんの口を切ると、なんと中からムカデやゲジゲジやマムシや蜘蛛がわんさかと・・・ってね。ひょうたんから尽きることなく出てくるお米のイメージ好きだなあ。景気がいいやね。でも、尽きることなく出てくる毒虫の数々もおもしろいやな。
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