椿屋敷のお客様

Feed

2006年10月19日 (木)

サルトリイバラの実

Nec_0020_24サルトリイバラの実がなっています。

ここは鹿児島市内なのに いいかげん山の中なので、そちこちの藪にサルトリイバラが生えているのです。実がついている株はなかなかみかけませんが、美しい実です。

サルトリイバラ、漢方で言う山帰来、鹿児島弁で言うカカランハは、茎も蔓も葉もちょっと変わった独特の形をしています。枝分かれの仕方とか、古くなった茎の表皮が固くなるところとか、トゲとか、他の蔓草と違います。藪を掻き分けてこれのトゲにひっかかったらかなり厄介で痛いです。

「ヤギの囲いに絡ませるといいらしい」と聞きましたが、そうかも。しかしなかなか思うように生やすことが難しいところが難点です。日照時間にかなりシビアな植物です。自分勝手に生えるときは簡単にはえるんだけどなあ。

2006年10月13日 (金)

山椒の実

Nec_0011_18山椒の実であります。

山椒には雄木と雌木がございましてな、雄の木にはどれだけ花が咲いてもち―――っとも実がならんのです。でありますからして、「小粒でもピリリと辛い」自家製山椒の実を手に入れたかったら、雌雄の木が必要でございます。一応、うちは雌雄揃えてあるのですが、どうにも雌の発育が悪くて、なかなかたくさん実が取れる状態にはなりません。

山椒はこう見えてもミカン科で、どうも今年はミカン科のなり具合が悪い様子なので、その影響もあるのでしょうか?

ミカン科といえば、春の木市で買ってきた生食用金柑の木が見当たらなくて「どこにいったのかな?」と探していたら、今日発見。おバカなことに夏の間に間違えて草刈機で幹をすっ切っちゃってました。ガ―――ン!バカバカバカ!

救いは脇芽が出てきていて、 けなげにも成長してくれている事です。だからこそ発見できたのですが・・・・・。ごめんよー。ごめんよー。肥料をたくさんあげるから、勘弁してくれ~。

2006年10月11日 (水)

Nec_0004_20五穀の1つ粟でございます。

子供の頃、日置の実家の隣に住んでいたシオおばさんが、よく粟を作っていました。しかし高度成長期は「銀シャリ飯至上主義」とでもいうべき時代でしたから、それからしばらく粟を作る畑を見かけませんでしたが、昨今の健康ブームで「五穀飯」とか「十穀飯」とか流行っているせいか、粟や黍や稗を作る畑を時々ですが見かけます。

この粟もご近所の畑で作ってらっしゃる粟です。

わたくしたちの親の世代は「貧乏人は麦を食え!」の世代ですから、どうしても銀シャリじゃないと抵抗があるようですが、そうかなあ?結構麦飯とか粟餅とか五穀粥とかおいしいと思うのですがね。今は鶏もいることだし、育てるのが楽な粟をうちも育ててみようかと思う昨今です。

2006年10月10日 (火)

落花生の実

Nec_0006_21 落花生を一本ひっこやして(引き抜いて)みました。

ちょっとまだ早かったようですが、しっかり地面の中から実が出てきました。

いつみても本当に不思議だ。なんんでわざわざ地面に潜って実がなるんだ?落花生?

もう少ししてから他の株をひっこやすことにします。あああ、塩茹でピーナッツ!楽しみで楽しみで。

2006年10月 9日 (月)

Nec_0005_19 今年は奥の柿の木に実がついています。その根元でヤギ様方が熱心に除草し、ウンコをたくさんしてくれた結果でありましょう

柿の実は結構高い所になるのですが、柿の木は子供の頃から「決して登ったらダメ」といわれている木です。とにかく折れやすいのです。しかも弱っている枝と大丈夫な枝の区別がつかない。すごく危険。

よって長い青竹を用意して、その竹の先を二つに割って楔を入れた「柿取り棒」を作り、その竹の先で柿の枝をはさみ切る、ということをします。

この棒がまた、タダでできる上に作りは単純で簡単、それなのに効果絶大で4mも5mも上の枝の柿がおもしろいように取れる偉大なる道具なのです。

もう少ししたら完全に熟しそう。今年は柿取り棒を用意せねばなりますまい。

2006年10月 7日 (土)

青紫蘇の実

Nec_0001_25青紫蘇に実がなっています。

この実が畑に落ちて来年の春まで休眠し、季節になると勝手に芽が出てくるのです。

まっこちありがたいことです。

紫蘇の実がもう少し熟したら、今年は集めて佃煮に入れようかと思います。だしをとった後のカツオブシや昆布を砂糖と味醂と醤油で煮詰めて作った佃煮に。

広島の妹のところから新米が届いて、いよいよおいしい秋がやってきました。

2006年10月 2日 (月)

アケビの実

Nec_0035_16もう気の早いアケビは口をあんぐり開けています。

今年はアケビの大豊作で(植えたわけじゃなくて勝手に生えてきたんだけど)そこかしこにホットドッグのようなアケビの実がぶら下がっています。

というわけでアケビ試食会は今度の日曜あたりいかがでしょう?

2006年9月30日 (土)

カラスウリの実

Nec_0030_18 今年もカラスウリの実が熟しました。あいかわらずドハデな朱色の実で遠くからでも目立ちます。いかにも日本の秋の色と申せましょう。

どこにでも生えるカラスウリのこの実を、鶏たちが大好きで、ずるずる蔓を引っ張って採れたらそのまま鶏小屋へ放り込みます。鶏たち大騒ぎであっという間につつき崩し、腹の中に入れて満足そう。実りの秋だなあ。

モモの裏山の散歩道にノウサギが死んでました。死因はなんだったんだろう?ここは車が通る場所ではないのではねられたわけじゃないだろう。それにしても結構ノウサギを見かけます。キジや狸もよく見かけるので当たり前か。ノウサギはうまく料理するとたいへんおいしいらしいですが・・・。「ノウサギの料理の仕方」とか知ってるとカッコいいよなあ。最近、そういうのもっと真剣に勉強しようか、と目論んでます。だって、人間の一生で「なんでもおいしく食べる事ができるとき」って案外短いんだもん。「実りの秋」だっていつまでも永遠に自分に巡ってくるわけじゃない。迷っているヒマはないよなあ。

2006年9月26日 (火)

ドングリ

Nec_0021_22 裏山ではもうドングリが落ちています。

あまり人通りの無い山道の事、拾う人もなく、ただバラバラと散っています。

もっともこの手のナッツ類はかなり栄養価が高いので、山に住む動物だの鳥だのが、「もったいない、もったいない」と食べているはずですが。

ヨーロッパの中世の物語でよく出てくるのが、「―――秋になったので、森に豚を放した。豚はドングリを腹いっぱいに食べて、冬が来る前に肥え太る。――――」という内容です。これを読むたびにヨダレがでました。「ドングリを腹いっぱいに食べて肥え太った豚の味。」どんなにおいしかろう、と思いません?だいたいこの「豚を森に放す話」の後に続くのが「豚を殺して冬ごもりの準備をする話」なんですもの。豚肉好きのわたくしにはたまりません。

ヨーロッパの厳しい冬を耐えるためには、余計な家畜は負担になります。だから種豚を残して、あとの豚は殺して頭の先からしっぽの先まで無駄なく食べる事ができるようにしたそうな。春まで人間の食料が不足しないように、秋に殺した豚の肉にさまざまな保存法を施します。硝酸塩をすりこんでヒッコリーや桜の枝を燃やす煙で燻したならベーコン。中身を掃除した小腸の中に、いろんなスパイスを混ぜ込んだ端肉を詰めたのがソーセージ。大人たちは秋の恵みに感謝しながら「鳴き声以外、無駄な箇所は無い」豚を(血ですらソーセージにしてしまう)大忙しで調理していき、子供達は豚のしっぽとか耳とかをもらって焚き火で炙っておやつ代わりに食べている。

こういう記述を読むにつけ「うまそ――――。」とヨダレが垂れますですよ。

いまどきヨーロッパ中世を「暗黒時代」という歴史家はいないと思いますが、真の肉食民族であるヨーロッパ中世人の豚の利用ぶり、うならされます。豚舎に閉じ込めて飼料で育てた豚より、森のドングリを食べて太った豚のほうが、なんだか聞くだにおいしそうじゃありませんか?

などと思っていたら、我が鹿児島が誇る六白黒豚の本格的な育て方は、野山で放し飼いにして、質の良いカライモ(サツマイモ)をお腹いっぱい食べさせることだそうな。

ううううむ。なるほど。うまいカライモは十三里「栗より(九里四里)うまい」といわれるホクホク高栄養。ドングリにも似てるのかもしれん。洋の東西を問わず「おいしい豚の育て方」というのは共通しているのかも。

2006年9月24日 (日)

柚子の実

Nec_0018_20 柚子の実がなっています。

去年は柚子とカボスのなり年で、たわわに実っていましたが、どうも今年は裏年のようです。去年にくらべるとだいぶ少ない。木の大きさの割に実がたくさんなりすぎたときは、ある程度間引いてやらないと翌年の実が減るらしい。どの生き物にもエネルギーの出力を一定にするパワーバランスっちゅうやつが必要ですわな。

人間もあまりがむしゃら過ぎると後で疲れがでてきますですしな。

一番強いのは「コンスタントに淡々と長く続ける事」であると、つくづく思います。