椿屋敷のお客様

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2006年2月

2006年2月13日 (月)

クライミング

Nec_0026_8 寒さに弱いうえに高所恐怖症なので、生涯雪山に登ることなど無いでしょう。

だから「ほのかに想いを寄せる殿方と二人だけで、雪の山小屋にたどり着き、何も暖房がないので裸になって抱き合って朝まで暖めあいました。」とか「雪の山荘に財産家の人々と閉じ込められ、密室状態で殺人事件が起こりました。」などというワクワクするシチュエーションには生涯出会うことはないでしょう。残念なことに。

ダムとか崖とか(東尋坊みたいな)の端のほうには極力近寄らないようにしています。ああいう端っこから下を覗き込むと、吸い込まれそうになって、ついつい自分から落ちていくような気がしませんか?

縁があって日本で一番高い場所、富士山のレーダー測候所の剣ヶ峰観測台に登る機会があり、そこから下界を覗き込んだとき、まじで腰が抜けました。ほんとに抜けたのです。測候所の職員さんに引きずってもらって建物の中に戻ることができました。そのせつはたいへんお世話になりました。

とまあ、こんなふうに高い所が苦手なものがおれば、高い所が好きなものもおる。それが自然の摂理でしょうか。「ヤギは高い所が好き。崖が好き。」と噂には聞いておりましたが、本当です。

畑の南側から斜面になって、最終的には谷に続いているのですが、まあ、ヤギ三頭、ちょっと自由になると一目散にその斜面に駆けていきます。Why?

藪になっている畑はかなり広いのです。きゃつらが好きそうな草とか木の芽とかワンワン生えて藪になっておるのです。わたくしなぞの感覚からすると平地で思う存分そういうのを喰ったほうが、すぐ寝転がれていいと思うのですが(牛になるぞ)。

写真でめーさん(ヤギザーネン種・1歳・女の子)、斜面の際でバランスを取りながらスイカズラの新芽をむさぼることに余念がありません。なかなかの急斜面で15°ぐらいはあるでしょう。そこに四肢を踏ん張った窮屈な姿勢で立って食べるのが好きなのです。Why?なぜ?あえてそんなところで?ヤギの考えることはわからん。

2006年2月12日 (日)

冬のヤギ住宅事情

Nec_0025_9 去年の12月にとんでもない寒波が何度も押し寄せてきたので、ヤギ小屋はそのときからずっと北側と西側にビニールシートが張ってあります。

シート一枚のことなのですが、これが結構暖かいんです。

考えてみれば氷点下の猛吹雪吹きすさぶ雪山でも、テント一枚張ってビバークするんですもんね。(「雪山」「ビバーク」わたくしには一生縁の無い言葉です)もちろんテントの材質は上質なのでしょうが、ホームセンターで売っているビニールシートもバカにできない防風性、防寒性です。ヤギと一緒に入っていると、かなり寒い日でも小屋の中は暖かく感じます。めーさん、クロさん、シロさんと三頭になりましたのでなおさらです。ちょっと手狭ですが、トカラヤギは寒さに弱いので、お互いの体温で小屋の温度が上がるほうが安全。冬の間は我慢してもらいます。

トカラヤギは蚊に強く網戸の中に入らなくても大丈夫なので、暖かくなってきたらお外に出てもらうつもりです。

ウグイスの谷渡り

Nec_0024_9 名目上は鹿児島市内なのですが、たいがい山の中で、敷地の南側には深い谷がつながっており、しかも庭も畑も椿だらけのわが椿屋敷。必然的に2月3月は、ウグイスやメジロ(鹿児島弁でハナシ)のナンパ場とあいなります。

今朝、モモとのんびり見回っておりましたら、藪の中から「ホー・・・・・キョキョキョ♪」と気の早いウグイスくんが「谷渡り」の修練に励んでおりました。うううむ、もうそういう季節か。

彼らにしてみれば、一重にこの鳴き声の良し悪しで「彼女をゲットできるか否か」がかかっているのですからね。人間の男子のように「ギターを練習してみたけれど音痴でリズム感が無かった。顔も不細工でイノシシの如し。あきらめてIT企業を興して株操作して大儲けして、合コンしまくって札束で顔はたいて女の子と寝まくった。」などという逃げ道が無いわけですから、修練にも熱が入ろうというものです。

しかし、自然とは残酷なもの、なにやらすぐに「ホー・・・ホケキョ♪」とマスターできる奴もいれば、いつまでも「ケキョケキョケキョ」とやっている奴もいる。うちの椿のある程度大きい木は、それぞれの縄張りになるらしく、「ホー・・・ホケキョ♪」と才能のある奴は早々といい木を確保している様子。だとすると、女の子に気持ちのいい音楽を聴かしてやった上においしい蜜を吸わせる高級レストランを貸切にしたようなもの、ナンパ成功率は格段に高くなることでしょう。熾烈な争いになるのも当たり前です。

まっこち、何の世界も一皮むけばキビシかことよ。ところで「じゃあウグイスの写真を撮って載せろ」などと無理難題は言わんとってくださいよ。

2006年2月11日 (土)

日本ツバキ・サザンカ名鑑

Nec_0022_6 植物の同定に図鑑は欠かせません。

たとえばチューリップを説明しようと「花弁は6枚で(正確には3枚が花びら、3枚がガク)、釣鐘を上に向けたような形、色は赤、白、黄色など、草丈は30cm・・・」などと、いくら言葉を駆使しても、トルコ桔梗なんかをを持ってこられたりするでしょうが、絵に描けば子供の絵でも一発でわかります。それほど人間は視覚に頼る生物なのです。

外部情報の実に80%を視覚神経から入力しているといわれています。ここでいつも気になるのですが、人類発生から500万年、そのうちの4999900年ぐらいは動画なしの生活をしてきました。4999950年ぐらいはTVなしで生活してきて、それなのに特にこの30年ぐらいは先進国で大多数の人間がTV漬け、もしくはコンピュータのスクリーン漬けの生活をしています。大丈夫なんでしょうか?今人類の目は発生以来の何百万年とはとんでもなく桁違いの情報を浴び続けているのです。

現に近視の人間(わたくしを含めて)だらけになっておるわけですが、それ以上にその情報を入力され続けている脳のほうは?脳の情報処理能力は本当に追いついているのでしょうか?人類の今までの進化にはまったくなかった性質の奔流のような視覚情報の洪水。普通の人間の脳で本当にそれをさばききれているのでしょうか?

「冬眠」の記事でちらりと述べましたが、太陽光を浴びることは本来昼行性の人類には重要なことです。太陽光不足による「冬眠状態に近いといわれる鬱病」が存在するわけですが、それ以上に人類は「冬眠」でもせなやっとれんぐらいの過剰で危険な情報の洪水にさらされておるのではないでしょうか?情報処理に疲れきって思わず動けなく(フリーズ)なるほどの膨大な情報に。

TVを見ると最近特に疲れるのです。目が悪くなったというのもあるかも知れませんし、ここ10年ぐらい朝6時のニュースと夕方7時のニュースと「なんでも鑑定団」と「たかじんのそこまで言って委員会」ぐらいしか見てないのでついていけないのかも知れません。オリンピック中継も疲れて見つづけることができません。「自分で情報を調整し、制限できる」という点で、マンガや本のほうがまったく疲労しなくてすみます。だからといってマンガ漬けになっとりゃ世話はないのですが。

まあ、おかげさまでうちには農園がありますので、そこの緑と動物に関する仕事は次から次へと絶えることはありません。これは体は疲れますがTVを見た後の脳みそがぐったりする感じはないのです。母方のじいさんが遺してくれた椿や山茶花の同定も、なかなか調べるのはたいへんですが「疲れる」という種類のものではありません。

この「日本ツバキ・サザンカ名鑑」(日本ツバキ協会編・誠文堂新光社)の2400種が載った図鑑を木の下まで持っていって「あれでもない、これでもない)と検討しておるわけです。とはいえ素晴らしい写真がついていますので、かなり速やかに同定ができます。リーズナブルで持ち運びがしやすい割には凄く便利。昔の椿図鑑はなにやらぶあつーい作りで、持ち上げるのにも重かった。あちこちの椿の銘木の写真が載りすぎていて厚さ20cmはありました。それにくらべりゃこの本は情報が制限されていて使いよいです。厚さも2.5cmだし。よい本じゃ。

「椿・山茶花」欄の「品種解説」はこの本を参考にしています。

ハルノノゲシの花

Nec_0021_11 ハルノノゲシの花が咲きました。

子供の頃持っていた植物図鑑の一番最初に載っていた草です。

その図鑑は「早春」「春」「初夏」「夏」・・・と季節ごとにページが分けられフルカラーの図版がついていました。薬効があるものは緑十字のマークがつき、簡単な利用法も載っていました。

田舎のこと、そこらに生えている草木を図鑑で確認し、それを採集したり、干したり、すり潰したり、水に溶かしたりすることがままごとでした。なんであんなに夢中になったのでしょうか?

図鑑は3年ほどで表装がばらけて無くなってしまいましたが、いまだに同じようなことをやっています。

ちなみにハルノノゲシにこれといった薬効はなかったんじゃないかな。折り取るとたんぽぽみたいな白い乳液がでます。

2006年2月10日 (金)

連翹(れんぎょう)の苗

Nec_0020_9 去年お知りあいのお庭から枝をいただいてきた連翹が、挿し木で畑の隅に根付いています。

ふっふっふっふ・・・・・。こういうのがたまらんのです。タダでもらってきた枝が、いつの間にか根付き株別れすらしておる。ローコストの極致!

以前にも書きましたが、匂いのいい沈丁花、あふれる黄色い花の連翹、こぼれる白の雪柳は「春の大好き花潅木御三家」です。野心は門から築山までのアプローチに竹垣をさしまわし、門の傍に沈丁花、春はあふれる連翹と雪柳の黄と白、秋は色とりどりの薫り高き小菊の菊籬、これですよこれ。

春の新芽が出てヒゲ根が出てくる前に、移植せねば。

椿「大唐子」

Nec_0019_7 椿「大唐子」が咲きました。

椿の中にはこのように中の花弁がぐちゃぐちゃになる系列があり、「唐子咲き」と呼ばれています。中華文様でよく見かける「唐子ヘアー」に確かに似ています。

この系列であんまりでかかったり、色が派手だったりすると、なんだか人間の脳みそみたいでグロテスクだったりするのですが、さすがに本家「唐子」、紅色一色と中大輪のコンパクトな花型のバランスが良く品があります。

中身が唐子咲きで、外弁は二重の平咲き、花期は3~4月なのですが今年は早いなあ。樹形は立性で強い。「京唐子」という白の絞りが入った品種の枝変りから始まりました。親の「京唐子」よりこちらのほうが品がいい。

2006年2月 9日 (木)

月暈

Nec_0017_6 今夜の月には傘がかかっています。

携帯のカメラではどうやっても撮れずもどかしいです。

鹿児島方面の方で今空を見ることができる方、ご覧になってください。

チューリップの芽

Nec_0016_5 去年咲いたチューリップの球根を、落ち葉溜りに固めておいたら、芽がでていました。たくましいです。

チューリップの芽には救われました。

どん底まで落ち込んで「・・・・・あたしなんか、ホント生きてる意味がない・・・何もできない・・・何も持ってない・・・世の中の役にたたないのに、息して無駄飯食って、ウンコしてるだけ・・・」

と、今思えばどうしてそこまで落ち込んだかわからん引きこもり状態になってしまったときに、ふと思いついて「チューリップが好きだからチューリップを植えよう」と思ったのです。おりしも球根がバーゲンの時期で手に入れやすかったこともありました。うちにあった鍬を持ち出して畝を立ててとりあえず植えてみました。

1週間もたったでしょうか、ふと見てみると緑の芽がでていました!

うれしかったなあ。

「なんだ、植えてみれば芽がでるんだ!じゃあ、待ってりゃ花も咲くな。」

そこでいきなり「気を長くもって未来を待つ」という気分になりました。

「椿屋敷農園」を始めたのはそのチューリップの芽からでした。

2006年2月 8日 (水)

Nec_0015_6 もうじき春の種植えシーズンがやってきます。3月の声を聞いたらどどっと植えるものが増えるのです。それまでに畑を耕しておいて元肥を入れておくのがベストなのですが・・・

なかなかその作業は遅々として進まず、にもかかわらずホームセンターに行っては種売り場で「ああ、これもいいわ。今年こそこれを・・・」とか見果てぬ夢を見てはフラフラと購入。「だって種をまかないと生えてこないもん」

ま、とりあえず定番の美人豆とスイートバジルはおさえておきましょう。あと左端のは東市来のひょうたん作りの名人Hさんからいただいた百成ひょうたんの種。Hさんは凄い人で、20種近くのひょうたんを種から育て(千成ひょうたん、鶴首ひょうたん、大ひょうたん、etc.etc.こんなに種類があったのか、ひょうたん)それを色んな形の加工品にしてらっしゃる。それもとんでもない完成度の高さで、鶴首ひょうたんを文字通り「鶴」に加工して、しかも三羽も4羽も首を絡めているのなんか、「いったいどうやって作ったの?」です。親切な方でその作り方も教えてくださったのですが、「うおお、そんな手法が?!」というようなものすごさ。あと亀とかランプシェードとかその作品は500近く、おうちはひょうたん博物館のよう。「去年は千成を作りやしたか。ほんなら今年は百成ひょうたんを作ってみやんせ。」とくださった貴重な種です。ほんとうにありがとうございます。いろいろご教授くださったことを早速実践してみます。