柑橘類はほとんどがそうですが、暖かい地方でしか採れません。
ゲーテなどほとんど読んだことはないですが、ひとつだけ印象に残っているお話があります。「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」というタイトルだったと思いますが(うろ覚え)、主人公のドイツ人ウィルヘルムがみなしごのイタリア人の少女ミニョンを、ドイツに引き取って育てるけれど、生粋の明るいイタリア少女だったミニョンが、ドイツの寒く暗い空の町で暮らすうちに、どんどん生気を失っていき、最後に故郷イタリアを思いながら肺病かなんかで死んでしまう・・・・・というお話じゃなかったかな(うろ覚え)。違うかも。
そういうストーリーはうろ覚えなのですが、強烈に印象に残ったのがレモン。少女ミニョンがイタリアを懐かしんでいつも歌う
「君よ知るや南の国
レモンの木は花咲き
暗き林の中に黄金したたる実は
枝もたわわに実り・・・」
という、すごく美しい歌があったのです。ロマンティックで印象的でしょう?
どうも、ほとんど北国といっていいドイツでは昔から南国イタリアへの憧れがあったらしいのです。開放的とか情熱的とか(おなごが綺麗で自由奔放とか)まあ、東京の人が沖縄とかにいだきそうなイメージが、伝統的に特にインテリ(ゲーテみたいな)層のなかにあった。少女ミニョンとレモンはその象徴である。・・・・・という、解説が乗ってましたね。余計なお世話にも、ウィルヘルムはイタリアでのびのび暮らしていたミニョンを、淑女教育のためだかなんだか知らないけれどわざわざドイツに引き取って、まるで植生の北限を越えたレモンの木が枯れるように、ミニョンを死なせてしまったわけで・・・・・。
そういうとこが、いかにもプロテスタントのキリスト教がやりそうなおせっかいだよなー――。余計なお世話というか傲慢というか。
「憧れだかなんだか知らないけれど、無理やりレモンの木を北国に植える真似なんかしないで、リンゴ植えとけや。」
と、世界の大文豪ゲーテの本をやっとかっと1冊だけ読んで、印象に残ったのがこれだけ。しかもうろ覚え。いかんなあ。今読み返したら、少しはましな読み方ができるのかな。
おかげさまで血圧も血糖値も中性脂肪値も尿酸値も、正常真中どんぴしゃなのですが、ただひとつ赤血球数がいつもぎりぎりの低空飛行です。
「たまには世の中のお役に立とうかい」と思いついて二度ほど献血に行きましたが、どちらも赤血球数が足りませんでした。気をつけねばなりません。
貧血がひどくなると心臓に負担もかかるので、貧血にならないよう鉄分の多いもの吸収しやすいものを心がけて摂るようにしています。冬野菜のなかで、貧血の特効薬といえば、ホウレンソウとニラがキングとクイーンでしょう。鉄分を多く含むので、どちらもきな臭いというか独特の金臭さがあります。それがお子様から嫌われる野菜になっている原因の一つでしょうが・・・。
大人になってみるとおいしいですよねえ。ホウレンソウなんかもうさっと湯がいておひたしにしてカツオブシをかけるだけでご馳走ですよ。匂いや歯ごたえが飛ばないように、ほんとさっと湯に通すぐらいでいいですよね。よっぽど歯が悪くない限り。
まっこち理解できないのは、ポパイが食べる缶詰の「ホウレンソウペースト」。そんなもののなにがうまい?そら栄養はあるかも知らんが、命の匂いやしゃくしゃくの歯ごたえの影も形もございませんがな。
ヤンキーの舌はいったいどうなっておるのか?
心配させよって!!
今日の日がとっぷり暮れて3日目の夜も来ようかというときに、猫用入り口から「にゃーー!!にゃーー!!」とこれ見よがしのうるさい声が。
ジョーは声がうるさい。
あまりのうれしさにカツオブシを奮発してあげました。
どうも、3日前にドリアン兄貴(アメリカンショートヘアのハーフ・12歳・じじい)に手ひどい折檻を受けたようです。たいへんな勢いで猫パンチを食らわされているのを目撃されています。とうとう腹に据えかねたか。しかし帰ってくるなりドリアン兄貴に寄り添って寝るジョー。雄同志の関係はわからん。
みなさまご心配をおかけしました。おかげさまでジョー帰還いたしました。ありがとうございました。
日置の実家の倉庫に、それはそれは大量のマンガを保管してもらってます。モノゴコロついて長谷川町子の「サザエさん」と手塚治虫の「火の鳥」を読んで以来のヘビーなマンガ読者なもので1980年代~現在にいたるまでの、それでも厳選して厳選して残したマンガの数々が山積み。別に初版本とかサイン本とかのお値打ち本があるわけではないのですが、大事なのです。もう少し整理せねば~せねば~と思いながら、まあ・・・ぼちぼちですわ。
この間整理していたらこれがでてきました。
「星の時計のLiddell」(内田善美著・全3巻・集英社)1985年1巻発行。
1980年代というのは、いまだバブルも崩壊せず、日本は「ライジング・サン」とか言われ貿易黒字をアメーリカあたりにぎゃんぎゃんいわれるほど好景気だったわけです。にもかかわらず、どこかで「このままで済むわきゃ無い・・・」と皆がぼんやりと思っていて、見えない未来に漠然とした不安とほのかな希望を持っていました。1960年代みたいな「ばら色の未来、夢の21世紀」という手放しな礼賛はできなくなっていたような気がします。公害とか過剰な都市化の弊害もどんどん出てきだしていたし。ああ、考えてみれば「エイズ」とか「アスベスト問題」とか、このころに「科学朝日」で第一報を読んだ記憶があります。もはや科学朝日も廃刊になってから久しいですが。
それまで一段下に見られていた「少女マンガ」という分野が、ものすごいことになっていました。とにかく凄かった!!「最先端の知性は少女マンガを描いてるんじゃないか?・・・」と鹿児島の片隅の田舎で田舎者なりに思っていました。その頃何よりもリスペクトしていた作家は数え切れません。クイーン萩尾望都を筆頭に、山岸涼子、青池保子、吉田秋生、名香智子、槙村さとる、三原順、etc.etc.・・・・・。全部挙げていったら作家名だけで五十人はくだらないでしょう。
「星の時計のliddell」はその凄まじい多様性と可能性をはらんだ当時の少女マンガの中の、完成形のひとつでした。とにかく絵が凄い!!「どうやって描いたんだこれ!?」というほど緻密で正確、それでいながら可愛らしく透明で清潔な色香がある。今見ても全く古さを感じさせない、知性で制御された絵です。デッサンもいいが何より色!カラーページのとんでもない素晴らしさ。カラーインクで描いてあるのですが原画はどうなっているのでしょうか?ああ、色あせてないといいけれど・・・。
そしてストーリーの内容も凄かった。
・・・アメリカのシカゴでロシア貴族の末裔ウラジーミルは不思議な男ヒューと知り合う。二人は学生時代からの付き合いだったが、ヒューが不思議な夢を見つづけていること、その夢を見ているときには無呼吸の仮死状態になっていることを知り、さらに二人は接近していく。ヒューの夢とは百年以上前のビクトリアン・ハウスの夢。溜息がでるほどに青い夜明け前のハウスに夜な夜な訪れる美しい少女リデルと、ヒューは夢の中で懇意になっていき、あるとき助けを求める少女の声に応えるために、とうとうその夢のビクトリアン・ハウスを捜す旅にでてしまう。
ヒュー本人も不思議な魅力を持った「新人類」とでもいうべき人物で、「生まれつきずっと退屈し続けていた」ウラジーミルも彼にひかれて、ヒューの旅に付き合うことにする。・・・・・彼らが探すのは本物の未来の希望なのか、それとも一人物の妄想にすぎないのか。
ああ、これだけの文章ではとても説明しきれん。とにかく探せばリサイクルブックショップにあると思うので、現物を見てください。80年代の最先端の科学知識も駆使され、当時の未来への漠然とした不安とも希望ともつかないヴィジョンが、マンガというメディアの持つ可能性のギリギリまで使って表現されています。
21世紀現在、残念ながらこのマンガが示唆していた「未来の不安」のほとんどは現実になっています。環境破壊はとどまることを知らず、温暖化、動植物の絶滅とひどくなっているありさま。それでも、今読み返しても「ひょっとしたらこのマンガの中にある希望は、あるかもしれない・・・」と思わせる。時代や世代を超えた大傑作なのであります。
いまどきの日本の女子として、2月限定のチョコレートケーキレシピの一つや二つは持たずばなりますまい。・・・ってオリンピックもろくろく見てないくせにいまどきもクソも無いもんだと思いますが。
元来チョコレート好きなもので、チョコレートを焼き込んだお菓子は大好きです。チョコクッキー、チョコマフィン、ココアパウンドケーキ、ブラウニー、チョコババロア、・・・・・「チョコ食いてー――!」発作が起こったときに作ります。
ロッテのガーナミルクチョコが大好きで、このたいへん安価なチョコレートと森永の純ココアを使って写真のガトーショコラも作りました。洋ものの上等チョコレートが大流行の昨今ですが、あれ確かにすごくおいしいんだけれど量を食べられません。鼻血が出ます。根が貧乏な舌なのでしょう。
このガトーショコラのレシピは何年か前のオレンジページのレシピなのですが気に入ってます。
材料
下準備
作り方
ちょっとめんどくさいけれど、かなりおいしいと思います。
日本が誇る椿の原種です。
わが椿屋敷農園は、庭にも畑にもあらゆるところに椿・山茶花の類が生えていて、秋から春のシーズンは「おう、こんな所にも、あんな所にも」花が咲き出し、しかも「~絞」だの「~錦」だのといったド派手な色と柄の品種モノだったりするわけです。畑の奥のほうなど白や桃色のが咲いているのですが、同定が間に合わぬうちシーズンが終わっていたりします。
んで、たとえば今日など畑の奥をモモとめーさんと散策していたら、なんともいえぬ品のいい紅色の椿が花をつけておる。「おおっ!」と、寄っていったら何の変哲も無いヤブツバキであったというわけです。
「何の変哲も無い」といいながらヤブツバキは本当にいい花です。飾り気が無くシンプルな花形に力強い紅色。またその色が素晴らしく品がいい。そこらじゅうに品種モノの椿が咲いているというのに、自然に目がひきつけられます。原種というのはそういうものなのでしょうか?「力がある」という美しさ。なにものにも揺るがない強さ。
まことにかくありたいものです。
「八重むぐら 茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」百人一首の恵慶法師の歌です。
もう春は目の前だというのに何秋の歌なんか引っ張り出しとるんじゃ、とお思いでしょう。実にその点が長年の疑問でした。
今のこの「ヤエムグラ」は秋に茂ったりはしないのです。せいぜい芽が出る程度で、春になってからひょひょ~~~んと伸びるタイプの草なのです。ハコベなんかと一緒でこれからが最盛期、はびこって往生するのですがそれは決して秋ではありません。
「おかしいなあ、ヤエムグラ茂れる宿なんか秋にはないぞ。」
謎が解けました。恵慶法師が歌ったヤエムグラはカナムグラという似ても似つかぬ別種の草でした。はああ~すっきりした。しょうも無いことなんですが、植物の名前には神経質になってしまいます。誰しもがそれなりにこだわりはあるということですね。
この春のヤエムグラは文字通り茎から車輪のように6~8枚の葉がでていて、しかもその裏にひっつきやすい毛が密生しているので、そのままちぎってセーターにひっつけて「勲章」とか「ブローチ」とかいって遊んだものでした。
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