椿屋敷のお客様

マンガ Feed

2007年6月14日 (木)

おおきく振りかぶって・8巻

Nec_0021 そういえば高校時代の思い出ってほとんどないなあ。今までの人生で一番つまんなかった時期だったです。今のほうが断然いい。戻りたいとはちっとも思いません。

とか思っていたら「おおきく振りかぶって・8巻」(ひぐちアサ氏・講談社)の帯に、アニメの監督の水島努氏が「高校時代をやり直したくなる!」の煽り文句。ふにゃあーーー!

確かに「おおきく振りかぶって」世界の高校生はすごいね。5巻からえんえん続いた西浦×桐青の死闘はすごかった!!

(以下ネタばれです)

こういうマンガのお約束とはいえ「公立高校で、全員一年の新設部で、監督が女」という三重苦を背負った西浦が「去年の甲子園出場校」桐青を破ってしまいました。「西浦の勝利が偶然ではない」ことをリアルにするために「西浦のメンバーの準備、作戦、心構え」を丁寧に描いて飽きさせないひぐち氏の情熱に脱帽。すごかったなあ。ついに爆発した4番田島。攻略しあぐねていたシンカーをとっさにグリップをずらして打つという離れ業。そしてキャプテン花井のホームを指す目の覚めるような送球。女監督モモカンと桐青のベテランオヤジ監督の手に汗握る采配合戦。見所満載。

勝負が決まったとき桐青のキャプテン河合が、泣きながら謝るピッチャー高瀬を抱きしめて泣くシーンには思わずこちらも胸が熱くなりましたよ。

うん。うん。

「高校時代をやり直したくなる」のセリフは「この必死さをあの時やっとけば・・・・・」ってことなんでしょうね。いや、「あの時」でなくても今でも必死にやりましょうよ。自分の高校時代は「まだ見えない先のこと」に過剰な期待をしたりいたずらに不安がったりするだけで「今の自分のこと」をまったく大事にしなかった時期でした。それが一番つまらんです。「おおきく振りかぶって」が心の柔らかいところにガツンと来るのはやっぱ登場人物がみんな「まさしく今の瞬間」を目いっぱい生きているからでしょう。

そういう意味で、やっぱ田島が一番好きかなあ。

2007年5月25日 (金)

ごくせん・15巻

Nec_0043 鹿児島に住む以上うっかり西郷隆盛のことは語れません。

食い意地が張っていてデブで、妥協を知らず主君の弟にもお愛想が言えず島流しに合い、そこでも女を作るスケベェ。・・・・・とか言うとマジで切れて殴りかかってくるオヤジがいるのが鹿児島です。「それのどこ悪いんだ?愛すべき人柄じゃないか?」といっても通じない。「西郷隆盛は味噌作りがうまかった」とか言う話も嫌い。「男子厨房に入らず」という明治以降のモラルに毒されて受け付けない。そういうのって損だと思いますが。欠点の無い人間のどこに魅力があるのでしょう?光と影のコントラストとバランス、それこそがキャラクターに命を与えお話にメリハリをつけるのです。

「ごくせん」(全15巻・森本梢子・集英社)がついに完結しました。「コントラストとバランス」という点では森本氏は出色の漫画家です。だいたい女性誌の主人公でヤンクミほど事あるごとにブサイク顔をさらすやつはおらんでしょう。最終巻で慎とあれほど「いい雰囲気」になりながらも、「仁義は通すが色恋沙汰は超苦手」という設定のままに、次から次へとブサイク顔のお披露目。いいのかよ~~?(笑)

あと前にも描いたけれど女性誌でここまでブサイクなオヤジをずらずら出していいのかよ~~?(笑)黒田一家の面々といい(犬までブサイク)、他の組のヤクザといい、白金の生徒たちまでまあ身も蓋もないブサイクな設定。これだけブサイクな面々をそろえているからこそ慎や篠原先生の美形ぶりが映えるんだけれど、まあ徹底してるよな。この徹底が新鮮だったし、魅力だったこのシリーズももう終わり。

淋しいの――――。

「うちの者はどいつもこいつも・・・熊殺しみてーな面してるくせに・・・どーしてこう涙もろいんだか・・・」と黒田の組長がつぶやいている。そう、熊殺しの顔で涙もろい。この意外性、このバランス。これこそがおもしろいの。ギャグキャラのうっちーにエリーゼ女学院のかわいいホラーマニアの彼女ができたり、ボーっと天然キャラのクマが「調理師免許をとってかあちゃんとお店をやる」と親孝行だったり、各所に散りばめられた意外性とバランス感覚。ああ、もうこのシリーズでそれを楽しむことはできないのね。

残念だけれど次回作に期待。

慎とヤンクミのハッピーエンド(?)はよかった。ちょっとほんわか幸せ気分。

2007年4月27日 (金)

もやしもん

Nec_0010 鹿児島のど田舎で産まれど田舎で育ちました。

うちのトイレはもちろん小学校のトイレも汲み取りで、低学年のトイレは6つトイレ口があって、そこから下の汚物だめが見えました。ときどき誰かの腸に住んでいたであろうでかいサナダムシが汚物だめの人糞や尿やちり紙の中でのたうちまわっていました。マジです。明治のハナシや中国や東南アジアのハナシではありません。わたくしの小学校時代の話です。

トイレの出口にはクレゾールを張った洗面器と簡易水道があって、「クレゾールで手を消毒しなさい」と張り紙がしてありました。幼心に「それでほんとに効果があるのかよ?」と思いました。

1クラス15人で、毎年ギョウチュウ検査やサナダムシ検査に誰かが引っかかってチョコレート色の薬を飲まされてました。

でも、一人として花粉症やアトピーなんかのアレルギーがいなかったな。ほんとだよ。

「もやしもん」(既刊4巻・石川雅之著・講談社)を読むと、いまやわずかン10年前の一応日本の片隅だったわが少女時代を思い出します。まあ「フケツ」も「汚い」もいいことじゃないけどさ、今主流となりつつある「過度の除菌ブーム」だって果たして意味はあるのかね?と常々思っていたところに忽然と現れた農大マンガ。

「菌が見える体質」主人公沢木の影が薄くったっていいじゃない。なんといっても謎の知識と謎の人脈と謎の過去を持つ樹教授ですよ、樹教授。樹教授の提唱する「モネラ界(微生物の世界のことらしい)の住人によるテラフォーミング(地球改造)の野望」に、「じゃっど!じゃっど!」と大いに共感いたしますですよ。はい。

酒飲みにはたいへんうれしい日本酒やその他の酒の薀蓄も満載。

おすすめでございます。

2007年3月29日 (木)

鋼の錬金術師・16巻

Nec_0016_26 さて、わたくし常々「もう鹿児島以北には決して住まん!」などとほざいております、筋金入りのサンカゴロ、でございます。寒いのホント嫌いなんです。スキーもしたことありません。「滑り出すと面白いし、暖かいのよ~。」などと言われますが、とんでもない!あんないちめん雪だらけのところに、好き好んでいくのがわかりません。

とはいうものの、北陸にも東北にも北海道にも、ちゃんと人が住んでいて生活してるんだよなあ(ご無礼)。零下20℃とか流氷とかが日常茶飯事の世界。想像の範疇を超えます。でも、そこでもちゃんと日常が営まれているんだよなあ(しつこい)。

というところで北海道産まれの荒川弘氏描くところの「鋼の錬金術師・16巻」(スクエア・エニックス)です。

15巻の暗く重苦しいイシュヴァール戦の話は一段落ついて、物語は北へ、とな。

もー―――!北海道出身の荒川氏の面目躍如!!16巻の後半から舞台は北の国境ブリッグス要塞になるんだけれど、そらもう、南国生まれ南国育ちには信じられないような話のオンパレード。

いや、今回初登場のアームストロング少佐のお姉さん「ブリッグズの北壁」オリビエ・ミラ・アームストロング少将も強烈ですよ。ラスト姐さん亡き後、荒川氏得意とする「ちょいと年増で訳ありの強烈ないい女」がまたでてきてうれしいよ。これから大活躍しそうだし。

しかし、それ以前にブリッグス山の凄まじい気候の描写が印象的でした。これは北海道出身の人にしか描けんでしょう。すごいねえ!

そういう過酷な北の気候+大国との国境線であるという極限状況であるからこそ、「ブリッグズの北壁」の性格の強烈さも際立つというものです。

16巻はとにかくブリッグズ山の気候とアームストロング少将。またまた今後の展開が楽しみになってきたぞー。

2007年3月20日 (火)

YouTubeで百鬼夜行抄

Nec_0047_12 「百鬼夜行抄」(既刊14巻・今市子著・朝日ソノラマ)がTV化されているという話は聞いていましたが、なにせTVをほとんど見ないので「縁がないかな?」と思っておったのですよ。

それがはやYouTubeにでているのでうれしくなりました。

早速視聴。

いやあ、おもしろかった!!

青嵐役の渡辺いっけいさん以外知らない俳優さんばっかりで、舞台はほとんどが飯嶋家の中だけ。あとは妖魔のコンピュータグラフィックスにちょっとお金がかかってるぐらいかな?という低予算らしいのに、このおもしろさ。

やっぱりドラマって予算じゃないなあ。30分という短さで原作の話をよくまとめてあって見やすいし。俳優さんたちもうまい。律役の細田よしひこくん、かなりの美形なんだけどとぼけたところがあってぴったり。儲けた気分です。

しかし、ネットの画像や音楽無料配信、すごいことになってるなあ。まだまだソフトが充実していくだろうし、そうなるとビデオ屋さんCD屋さんは苦しくなるだろうな。なによりTV。誰も頼んでないのに勝手にデジタル放送にするとか抜かしやがって、高いハイビジョンTVを年寄りにじゃんじゃん売りつけるという霊感商法みたいなことをやってるけど、罰が当たるぞー!!

実際、自分がTVを見なくなったのはTVの決めた時間に合わせられないから、だったわけで。いまやそういう人間は結構多いのじゃないかな。そういう人たちはますますネットに走るだろうし。完全に地上波から切り替わったら、もうTVは廃棄してNHKの受信料は払わないつもりです。

2007年3月10日 (土)

おおきく振りかぶって・7巻

Nec_0039_15 というわけで「おおきく振りかぶって」(既刊7巻・ひぐちアサ・講談社)に夢中の最近なのであります。

そういや昔から野球マンガにはよくはまってたよな。サッカーマンガはぜんぜんだったのに。んで、前のエントリーにも書いたけれど「バッテリー」といい、この「おおきく振りかぶって」といい「女性が野球を題材に書いた‘本格派‘作品」に続けてはまってしまったので「なんでかな?」と考えてみました。

少女マンガじゃ昔から野球はご法度だったんだよね。泥臭くて。川原泉氏や亜月裕氏なんかがそういうところを逆手にとってギャグ仕立てで描いたりしてたりしたんだけれど、それはあくまでギャグであって、「野球の面白さ、それにまつわる楽しさと辛さ」を正面切って描いた作品ではなかった。女性誌ではそうだったし、男性誌で「女性が野球マンガを描く」ということもなかった。まあ、男性誌で女性が活躍することも今ほどなかったわけだけど。男性誌で「女が野球をギャグ化する」というのも許してもらえなさそう。それは今でもそうなんじゃないかな。これだけ野球の地位がサッカーに押されてもやはり野球とそれを取り巻く世界は「男の聖域」なんだろう。

それが「アフタヌーン」みたいなちょっとマニアックな雑誌で、女性が「本格野球マンガ」を描けるというのはいい時代だと思うし、なにより作者のひぐち氏の「何年も高校野球の追っかけをして丁寧に取材した」情熱が素晴らしいとも思う。

そして視点と切り口。

「バッテリー」のあさのあつこ氏も「おおきく振りかぶって」のひぐち氏も今まで男性作家が描き尽くしてきた野球とは、視点と切り口がまったく違うところから描いてきている。だからものすごく新鮮!

この二人はそれぞれ違った個性で勝負しているけれど、共通しているのは、男性の作家が「野球を描くならこれは弱さだ。だから切り捨てる」と判断したであろう「弱さ」を、丹念に拾って描いているところではないかなあ。

「バッテリー」の巧の手のつけられない孤高ぶりとか、「おおきく振りかぶって」の三橋のとんでもない弱腰とか、今までの野球マンガだったら(そうでなくてもスポーツマンガだったら)「根性がない・礼儀がなってない・スポーツマンの資格がない」で済まされていたと思う。あと「おおきく振りかぶって」で丹念に描かれる最新のメンタルトレーニングとかスポーツ医学とか。これマンガじゃなくても日本の「体育会系スポーツ界」って無視しがちなところだったでしょう?そうじゃなかったらなんでオリンピックみたいな大舞台で「あがりました。実力が発揮できませんでした。」のオンパレードになるわけよ?「努力と根性が足りん!」だけで済ませてきたところを、「弱いところは弱いのだから、正しい知識で日ごろの訓練によって効率よく克服する」という姿勢、好きだなあ。

こういう視点は、スポーツじゃないけれど「ヒカルの碁」(ほったゆみ・小畑健著・集英社)にもあったなあ。あがり症でプロ試験に受からない伊角が中国に武者修行に行って「精神のコントロールなんか、克服できないことじゃない。身につけることができる技術だ。」とさとされて開眼するというエピソード。

これだよこれ。

「根性と精神力さえあればなんでもできる」という考えかた大嫌い。これって一種の思考停止でしょ?無批判な宗教と一緒じゃん。「できないのは信仰が足りないからです」っていう。太平洋戦争の基本思想もこれだよな。「竹槍でB29を落とす」っていう。

勝利や現実のメリットを手に入れるのに必要なのは「信仰」じゃない。「冷静な現状分析と作戦と対策」でしょ?

最近はまった「野球」という使い古された題材でやたら新鮮な2作品に共通するもの。それはこの「現状分析と作戦と対策」を丁寧に描いているところじゃないか?と考えました次第です。

人生にも必要だよな、これ。

2007年3月 7日 (水)

おおきく振りかぶって

Nec_0032_31 野球マンガ全盛の時代をリアルタイムで知っております。

「巨人の星」もリアルで読んだし、「アストロ球団」も「キャプテン」も「ドカベン」も読みました。同世代以降の女の子の中には結構そういう子は多いのじゃないでしょうか?最近つくづくそう思います。

というのも、この間読んだ傑作野球小説「バッテリー」もこの「おおきく振りかぶって」(既刊7巻・ひぐちアサ著・講談社)も作者が女性だからです。「女に野球がわかるかよ」の時代はいまや遠い昔。「おおきく振りかぶって」も野球マンガのとんでもない傑作です。

新設公立高校のできたばかりの野球部が舞台なんだけどね。もういちいちキャラが秀逸。「暗くて卑屈なピッチャー」三橋てのも「おお!この手があったか」というぐらいピッチャーとしては新鮮な設定だし、その女房役の「やたらめったら強気のキャッチャー」阿部もまた新鮮。動体視力がイチロー並みの天才バッター田島。負けん気が強いけれど面倒見もいい花井。そしてなによりかにより、ノックがやたらめったらうまくて夏みかんを片手で握りつぶしてジュースにしてしまう女監督百枝。

この女監督がとにかく只者じゃねえ。冷静な分析力、卓抜した指導力、なによりかにより高校生の男の子達にまったく引けを取らない体力と根性。今の世の中「ひょっとしたらこんな女監督も現実にいるかも知らん」と思ってしまう。それぐらい女性が描いたこの野球マンガはおもしろい。

なんでかな?なんで今までの野球マンガとこんなにも違って見えるのかな?まだそこのところの結論が出ていないのですが。とにかくおすすめです。

2007年2月16日 (金)

のだめカンタービレ・17巻

Nec_0041_16 たまたまローソンに寄ったところ、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子著・講談社)の17巻がありました。即買い。

¥390で半永久的に楽しめる娯楽、それがマンガ。やめられないとまらないです。

そういえば最近You tubeで動画を見る、という悪い娯楽を覚えてしまい、今までまったく見てこなかったTVドラマをパソコンで見ています。まことに世の中というものはどこまで便利になるものじゃろうか?その中で昨年放映された玉木宏&上野樹里版「のだめカンタービレ」も第4話まで見ました。評判どおりむちゃくちゃ面白かったです。上野樹里うまいなあ。玉木宏も見事なまでに「おれさま千秋」になりきっているし(それとも地なの?)。

ただ日本編は実写ドラマでやれるけれど、パリ留学編は無理だろうな。やっぱり竹中直人がいかに怪演してもシュトレーゼマンには無理があるし。そう思っていたらアニメもあるそうな。すごいな。

マンガのほうも17巻にいたるまで相変わらず絶好調なのだけれど、ここで今まで覆面も同然だった千秋の父、ピアニストの雅之が登場。なんだかんだいって千秋がファザコンだということが判明。父の姿を見た途端、千秋大事なベートーベンの指揮中にフリーズしちゃいます。

「のだめカンタービレ」は、登場人物がすべて徹底して変態と変人であります。その中でも千秋の父雅之は異質。「変態」とか「変人」とか言うレッテルを貼る前に、なんというか「圧倒的に孤独」。その孤独の匂いが、息子たる千秋に「取り付くシマも無さ」を感じさせて反目を生んでいるんだろうけれど・・・・・・。

のだめは結局千秋が父のことを一番に意識しているのだと(動物的に)感じ取り、雅之のピアノコンサートを聴きに行きます。そしてのだめも雅之を超えるためにピアノ一辺倒の日々になり、マルレ・オケで忙しい千秋とだんだんすれ違うようになり・・・・・・・・。

なんだ?なんだかちょっと深刻な雲が漂いだしてきたぞ。「のだめカンタービレ」17巻。どうなるんだ?

のだめのピアノの先生、オクレール先生が素敵。

2007年2月12日 (月)

無限の住人20巻

Nec_0031_29 「不老不死」というのは古今東西権力を得た連中が必ず欲しているもので、そらもう涙ぐましい努力をなさったりしとるわけです。わざわざ日本くんだりまで「不死の妙薬」探しの大船団を寄こしたりしておる秦の始皇帝とかね。

年をとるのは嫌だけど、死ぬのはとても怖いけれど、ちょっと冷静に考えれば「不老不死」はありえないし、たとえ可能でもそれで幸福ではありえないとわかりますよね。

「死のうと思っても死ぬことができない不幸」って、この世で最悪のものだと思いますよ。愛するもの全てが寿命を全うして時の彼方に消えうせていく中で自分だけが永遠の孤独地獄の中に取り残される。最悪じゃないですか!

だから「不老不死」を扱う物語は、かならずどこか滑稽で悲惨。

「無限の住人」(沙村広明著・既刊20巻)は主人公の万次が八百比丘尼の秘術かなんかで不死の肉体を得た・・・・・・・というのがベースなわけで。んで、沙村広明氏のあなどれないところはこの万次が決して一番に強くないという設定にしてあるところですかね。権力も金もまったく持ってないし。どころか読むのが憂鬱なぐらい長々と続いた「不死力解明編」では、小娘の凛ちゃんに江戸城の地下牢(またこの地下牢が暗くてじめじめ湿って気持ち悪い。沙村氏の画力が画力だけに、マンガを見てるだけで肌にカビが生えそうだった)から文字通り「手取り足取り」助け出されるありさま。いいバランス感覚だよなあ。

ただ延々と地下牢の人体実験シーンが続いたのには閉口しました。泰西帰りの蘭学者・歩蘭人のにわか狂気より、断然山田浅右衛門のキャラが面白かった。史上有名な「首切り浅」を、こんなチンチクリンなオタクオヤジにしちゃったのは凄い!世に知られた彼の居合いが、足の指までバレリーナしてる変態剣術だった!しかも「首切り浅ってこうだったかも」ってうっかり納得しちゃうぞ。このバランス感覚、すばらしい!

「不死力解明編」ではダントツ彼の存在が光ります。そのチンチクリンの彼にしてからが「万次の生き胆」→「不老不死」を言い出してます。怖いなあ。こういう変態を描かせると沙村氏の右に出るものはいないと思います。

あと、ひさびさ登場!見開き大ゴマの「無限の住人№1サディスト」屍良(この字でよかったかな?字忘れたよ)。こいつも強烈ですねえ。「春までに殺す!春までに殺す!それまで愛しあってろ!!」だってよ。こええよう。

結局、歩蘭人が「不老不死より天命を守るのが我ら医者の使命」と悟る、という落としどころだったわけですが・・・・・・・。

そういう無難なおまとめより、断然この世のものとも思われぬ変態たち(しかも連中、人体実験の影響とかじゃなく地ですよ、地)の存在感がすばらしかったのでありました。

2007年1月 8日 (月)

大奥

Nec_0019_22  「大奥」というのはどうも刺激的なテーマらしく、今まで何度もTV化されていますし、さらに今回仲間由紀恵主演で映画化されたらしいですね。やはり「ハーレム」というのは永遠の主題なのでしょうか?やんごとなきご家系の今の問題が示すように、ホモサピエンスという種の生殖法からいって男系で家の存続を図るならハーレムを作る以外ないでしょう。もし「男系のお家大事」を最優先するなら一夫一婦制には明らかに無理があります。

では女系なら家の存続は可能なのか?

これについてのびっくり仰天するような解答を出そうとしているマンガがあります。

その名も「大奥」(既刊2巻・よしながふみ著・白泉社)です。

よしなが氏は「マニアックな知識と深い洞察力でものすごく辛辣なことを描きながらなぜか口当たりは軽い」という離れ業をやってのける人でこれまた大好きな漫画家さんです。市販されてるのは全部持っています。名作「西洋骨董洋菓子店」を出す前に「フランス革命時のホモのお貴族さまたちの生活」をテーマにした一連の作品があり、少女マンガで美化されていた「おフランスの恋愛生活」の実態をむき出しに描いてくれておりました。「貴族の夫婦は形式上のもの。夫も妻も愛人を作りまくり、私生児を作りまくっていた」のだと。

その彼女がなんと「大奥」をテーマにもってきたという。そらもう興味シンシンでその月の「メロディ」を読みましたよ。

ぶったまげましたね。

よしなが氏の「大奥」は大奥でも「謎の疫病で男が極端に少なくなってしまったパラレルワールドの江戸の大奥。将軍職は女が継ぎ、なんと大奥には何百人もの男が囲われている。」という逆転劇なのです。

「ンな馬鹿なことあるかい?」というような状況をよしなが氏らしいマニアックな丹念さで納得させてくれます。そしてここのところが大事なんだけれど、これほどマニアックでありながら情があるの!泣かせてくれるの!!

お話は女系の将軍家の流れが固まった八代将軍吉宗(もちろん女)のお話と、その過渡期である三代将軍家光(これは父親の身代わりに無理やり将軍職に就けられた少女)のお話。どちらも泣かせますよ~。

特に家光のお話はまだまだ続く気配でものすごく楽しみ。無理やり政略結婚させられた家光と有功の愛はどうなるのでしょうか?なにせよしなが氏のマンガ、ただのハッピーエンドにならないことは間違いがない。

しかし「こんなマニアックなSFマンガちゃんと売れるのかな?」などと余計な心配をしておりましたが杞憂でした。映画の「大奥」ともあいまってかなり売れているようです(コンビニに置いてあったりするもん)。よきかな、よきかな。