椿屋敷のお客様

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2008年4月

2008年4月30日 (水)

いつの間にか生えてきたもの・その5

Nec_0018 そうは見えないけれど山椒はミカンの仲間です。

そう言われてみれば、山椒の実はとても小さいミカンみたいなものだし、匂いもミカンに似ているかも。ちょっと強烈だけれど。

鳥はこの実が大好きなんだろうなあ。山椒ってのも結構自生してくることが多いです。山椒・・・・・・苗で買うとこれも結構お高いのにねえ。

藪を払っていていきなり強烈な山椒の匂いが漂ってきたりします。はっと気がつけば植えた覚えのない山椒の木が生えているわけで。

日本料理で山椒を使うことが多いのは、やはり山椒が昔からよく生えていたからでしょう。都会ではその意味が失われつつあるけれど、気候風土に合った合理的な文化が和食なのであります。

2008年4月29日 (火)

いつの間にか生えてきたもの・その4

Nec_0020_2 よく玄関に植えられている(『難を転ずる』という縁起物だし)南天の木は、もともと野生の状態では山の中の大きな木の根元にへばりつくように生えています。それでもってある程度日陰である程度日が差さないとダメなの。

そういう日照条件とか、湿度とか、野生の植物はたいへん気難しいものです。動物だってある程度飼いならされた歴史のある動物より、野生動物を飼うほうが格段に難しいでしょ?

植物もそれと同じなの。野生で生えているものを移植して野生状態と同じように繁茂させるのはとてもとても難しいのです。だから「採ってはいけない」とされている植物を、山や野から採って帰るのはほんとにナンセンス。そのままにしてるより何百倍も何千倍も手間がかかるというものです。

さて、南天ですが、今必死に藪払いをしている椿の林に自生してました。南天や万両、千両といった植物も、実をよく鳥が食べて糞にして撒き散らしてくれます。よって思いもよらないところに生えてくるものなのです。

まあ、ここに生えてきてもなあ、役にはちっとも立たないんだけれどなあ。でもこの世のほとんどの植物ってのはそんなもんでしょ。少なくとも光合成をして二酸化炭素を減らしてくれてるという大働きはしてるわけだし。「難も転じて」くれるわけだから・・・・・。などといいつつほっといてあります。椿の林の南天。

2008年4月28日 (月)

いつの間にか生えてきたもの・その3

Nec_0021 ムベでございます。鹿児島弁で「ウンベ」と申します。秋の山遊びの際に、よく食べました。山の果実にしてはとても甘いんです。種はむちゃくちゃ渋いけど。

うち、今、「もおおお!いい加減にしてくれ!!」と喚きたくなるぐらい畑中がアケビまみれでして、毎日毎日毎日毎日アケビのツルを払ってます。それでもとり損ねたアケビが秋には鈴生りの実をつけることでしょう。そしてその実が落ちてそこから芽がでてくることでしょう。鳥さんたちが食べてウンチにしてばら撒く種もただ事ではありません。というか、ほとんど自生してくる野生の植物は、どこの何様とも知れぬ鳥さんたちの粗相の結果でありましょう。

畑のこの状態ならば、同じアケビ科のウンベがどこかに自生していないはずが無い、と読んでいたのですが、どんぴしゃ!

ありましたよ。ウンベ。大繁殖したアケビのツルに混じってひっそりと。周りのアケビは全部剥ぎ取ってヤギに食わせましたが、ウンベはとっておきました。もっともどこがなにやらわからないほどアケビと絡まりあっていたので多少アケビと一緒にヤギの胃に入ってしまいました。

大事にしとこう。ウンベの株なんて木市やサカタのタネでかなりお高い値段で売ってるぐらいだもんな。秋が楽しみじゃ。

2008年4月27日 (日)

いつの間にか生えてきたもの・その2

Nec_0017 驚きモモの木!

庭の南側の隅に大麦が固まって生えてきてます。まったく植えた覚えがありません。たまげたど。

「ロビンソン・クルーソー」の中のエピソードを思い出したぞ。

無人島に流されてパンを何年も食べることができず、「麦、麦、麦」とそればかりを考えていたクルーソーの前に、いきなり大麦の株が。「神の恩寵だ!」と感動に打ち震えるクルーソー。

種を明かせば、鶏の餌の袋をひっくり返してはたはた叩いた場所だった、ということで。袋の中の鶏の餌の麦から芽がでてきたんだな、これが。文字通りの種明かし。なんでもかんでも「神、神、聖書、聖書」のプロテスタント的発想にはついていけないkれど、揺れる麦の穂を見つけたときのクルーソーはどんなにかうれしかったろうなあ。

「麦、麦、麦」とは今のわたくしも同じ気持ちです。「ヤギ餌用に麦類を植えたろう」とエンバクやヒットソルゴーの種を取り寄せたところだったのです。こういうときに植えた覚えもない大麦が生えていると、とてもうれしいぞ。

でもうちの大麦はなんで生えてきたのかわかりません。

2008年4月26日 (土)

いつの間にか生えてきたもの・その1

Nec_0015 春もたけなわとなり、あちらこちらから「何でここに生えてきたの?」と由来がわからないものが生えてきておるのです。

裏山はモモの散歩コースなのですが、ほんとに山。そこらじゅうが竹林と杉林。公共工事に無駄な投資をした時代の名残で、ほとんど誰も通らないのに舗装された道路が通っています。

なのになぜかいきなりこの道端にノースポールが。白い可憐な花がちょぼちょぼと咲き出したとき、わが目を疑いましたよ。なんでこんなところに?みればそこらに5,6本は生えています。

誰か種を蒔いたの?それとも苗を植えたの?でもどうしてこんな山の中に?謎は深まるばかり。

2008年4月25日 (金)

平戸つつじの花

Nec_0014 ご存知のようにツツジはきれいに剪定すると、「花のぼんぼりかじゅうたんか」という状態になります。一年のうちでこの季節だけですが。

昔はそういうツツジのじゅうたんをなんとなく「だっせー!」と思っていたのですが、どうしてそんなふうに感じてたんでしょうか。とても美しいものなのに。ツツジそのものがあまりにもありふれていて、木の単価もとてもお安いものだからかな。

よく手入れされ世話されて、時間をかけて人の手が入っていることの美しさ。それこそが貴重で贅沢なことなのになあ。

――――などと、えらそうに言ってますがうちのツツジは全部野放し。ぜんぜん手が入ってねえ。ふと、今を盛りとけなげに咲いている平戸つつじを見て「やっぱちょっとは手を入れてやって剪定しよう」と心に思ったことでしたよ。

2008年4月24日 (木)

開通

Nec_0013 ふううううーーー!

やっと隣の畑まで道が開けました。2日かかったよ。木を切るのは簡単なんだけれど、蔓がねえ・・・・・。十重二十重ととんでもない方向から絡み付いているので、一箇所を切り離してもぜんぜんなの。腰のベルトに指した手鋸と剪定ばさみをフル活用、手鋸で木を切っちゃあ蔓をはさみで切る、それの繰り返し。藪のど真ん中では、もう自分がどっちを向いてるのかどんなポーズをとってるのかさっぱりわからなくなるほど、とんでもない状況です。何度も途中で挫折しかけましただよ。

でも、これで隣の畑との境を切って、ヤギ運動場に放り込む道ができました。はああ、よかった、よかった。

蔓の藪にはしたくないです。近年暑い夏が続いてます。藪にしてしまうと山蛭だのがわきそうで。自分ちの庭畑にそんなのわかすの絶対やだし。ご近所にもご迷惑かけたくないし。

開けると、すぐ日が差してきます。それも気持ちがいい。

2008年4月23日 (水)

虫こぶ

Nec_0011 暖地桜桃の葉に虫こぶ発見。

ちょっと見青虫みたいですが、これ、桜の葉が片方から丸まってできた空洞なのです。中にはサクラフシアブラムシというアブラムシが集団で暮らしています。これを割るとうじゃうじゃアブラムシが満杯でした。ちょっと気持ち悪かった。

この虫こぶが広がると、木には良くないので虫こぶの葉を切って捨てねばなりません。

次から次へとやることでてくるなあ。

2008年4月22日 (火)

藪は続くよどこまでも

Nec_0012 今日のミッション:

ヤギ運動場の南側の藪を払って、隣の畑まで通り抜ける道を作ること。

と、方針を立てたはいいものの、いやあこれがなかなかに困難な作戦でございました。椿の木が密植されてそれが全部4mぐらいの高さになって、さらにはツルウメモドキやアケビ、スイカズラなどの蔓性植物が十重二十重に巻きついて、もうどこがどうなっているのやら。

愛用の手鋸をヤスリで研いで、剪定ばさみと共にベルトのケースに挟み、いざ出陣。切れども切れども網のように絡まりあった蔓が邪魔をして、まるでハンモックのごとくゆさゆさゆらゆらと揺れるばかり。

夏でもないのに大汗をかきかき、なんとか隣の畑が木立の向こうに見え始めた頃には、もうとっぷり日が暮れておりましたよ。

後は後日となりました。が、しかし明日、あさっての予報は雨。まあ、いい。雨が降ったら骨休めといたしましょうか。

2008年4月21日 (月)

クリムゾンクローバーの花畑

Nec_0010 ううむ、予想通りクリムゾンクローバーが固まって咲くとなかなかの迫力です。こりゃあいいぞ!!

クリムゾンレッドの花色がただでさえ派手。その花が立ち上がってゆらゆらと揺れるのです。なにか音楽が聞こえてきそう。

これは、なんとしてもこの花の勢力範囲を広げてやって、花畑を広げねば。「一面にゆらゆらと揺れるクリムゾンクローバーの花畑」ってのはいいぞ。手間もかからないし(本音はここ)、土地は肥えるときたもんだ。ホワイトクローバーより多少お高かったけれど、その価値はありました。

クローバーの範囲を広げるために、一日何本かずつ木を切って藪を払ってます。日の当たる地面を増やすのだ。(そしてその木はヤギたちに)