椿屋敷のお客様

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2009年12月

2009年12月16日 (水)

柴犬権太

Dvc00280 柴犬の権ちゃんは、ご近所のIさんの飼い犬です。雄、五歳。愛嬌のあるふくふくした顔と、コロンとした胴に短い脚の、たいへんかわいいおっさん犬です。

Iさんは昨年だんなさんを亡くし、ご自分も足が弱って権ちゃんの引き綱をもてなくなってきたのです。

うちのモモとアンズを散歩するとき、必ずIさんの家の前を通ります。たまたまIさんとでくわしてその話になり「よござんす。どうせうちのモモとアンズの散歩を、毎日朝夕やってるんですから。ついでに権ちゃんも連れてきましょう。」と胸を叩いてしまいました

こういう話って多いんだろうな。ご近所も高齢化が進み、よく「犬に引っ張られて誰々さんが足を骨折した。」という噂も聞きます。でもねえ、山の中だから用心のために番犬は欲しいし、なによりワンコの愛らしい忠誠心は自分の心の安定のためにも必要なんですよ。

権ちゃんもワンコとしてはまだまだ男盛り、長生きして欲しいしね。お散歩ぐらいなら連れて行くよ。

何日かのお散歩ですっかり覚えてくれて、モモ、アンズ、わたくしがIさんちの門にきたら大喜びで「わん、わん」とお出迎え。かわいいぞ。

2009年12月15日 (火)

今年のカボス

Dvc00279 今年はうちの柚子もカボスもたくさんなりました。当たり年だったみたいです

なのにカボスの青いうちはリンパ腺が腫れて動くのもままならずだったので、すっかり黄色くなってしまいました。あと桜島の灰が降ったので、皮に痕がついてます。ううううん、厄介だな、火山灰。

でも、きれいに洗い落として、絞ればとても香り豊かな果汁がたっぷりでてきます。果皮がきれいなのは友人やご近所に配り、残りはうちで絞って冷凍することにしました。

これといって手をかけてるわけじゃないのになあ。本当にありがたいことであるよ。またお礼の肥やしをあげなければな。

2009年12月14日 (月)

恋愛的瞬間

091214 まさか自分が吉野朔美を手放そうとする日が来るなんて・・・・・・・・

時は流れ、人は変わり、心は移ろう・・・・・・少なくとも自分には永遠を約束することはできんな。恋が終わるときとそっくり。あんなに夢中だったのに。

「恋愛的瞬間」(全五巻・集英社)、「いたいけな瞳」(全8巻・集英社)、「子供は何でも知っている」(全5巻・集英社)・・・・・・・・今読み返しても、おもしろいし、鋭いと思う。でも夢中になれないの。なぜ?

デヴュー作の「月下の一群」から「少年は荒野をめざす」「グルーヴィー・ナイト」「HAPPY AGE」「王様のDINNER」「ジュリエットの卵」・・・・・全部持ってたよ。あのころ「ぶーけ」毎月買ってたもの。すごく好きだった。いまや「ぶーけ」も休刊して何年?もう知らない人も多いだろう。

なぜ?考えてみた。

自分が今夢中な女性のマンガ家を思い浮かべる。よしながふみ。羽海野チカ、二ノ宮知子。今市子。森永あい。あと女王一条ゆかりと巨匠槇村さとるね。あの人たちなんであんなしぶといかね。絵が嫌いだけれど矢沢あいもいるな。みんな主人公に必ず「生活力」を背負わす。「食べていく力」だ。「金を稼ぐ」でもよし「自分で作って食べる」でもよし、もちろん「ダークなことをして稼ぐ」でもいい。とにかく「自分の生活を自分で成り立たす」こと。みんなこれが重い。

この20年てのは、そういう20年だったんだな。20年前は「専業主婦」ってのが楽勝で存在した。なのに世の中は変わり「女も自分で稼がなければ生きていけない」時代になってしまった。そういうことだと思う。

吉野朔美の主人公たちに「何が何でも食っていく」という欲がない。短編集「いたいけな瞳」の中で「月の桂」という作品に、類まれな小説書きの才能を持ちながら田舎の廃屋に帰って世捨て人になろうとする(そしてその才能を妬む友人に殺される)男がでてくるけれど、そういう欲のなさは吉野朔美の主人公にはよくあることだ。その淡白さが潔く美しく見えて夢中だったのだけれど・・・・・・・・・

例外は「ジュリエットの卵」の蛍。美しい彼女が食べていくために絹糸のように美しく長い髪を、ばっさばっさとカットするCMを撮影するシーンは惚れ惚れした。そういえば彼女は吉野作品には珍しく、食べることに執着してたなあ。

なのにあの作品のラストで、双子の兄の水(ミナト)と寝て、水は自殺してしまう・・・・・・・このラストが、たまらんいやでなァ。何で死ぬ?

食べてかなきゃいかんのよ。生きてかなきゃならんのよ。世の中の余裕が無くなったといやあそれまでだけれど、それはそれでおもしろいし。ただ「生きていくことに意欲的でない」吉野作品に溺れることはもうできないんだなあ。

2009年12月12日 (土)

ぼくの地球を守って

091212 さて。

今何をしているかというとですね、持ってるマンガを半分に減らそうとしてるわけですよ。このままじゃ新しいものが入りませんから。幸い、今なら譲る処がありますんで。ブックオフで「ダンボール二箱¥200」とかじゃちょっと悲しいし。

んで。

読み返して「これは手放せるか、あれは残すか。」という判定をしちょるわけです。難しい。「手放す理由」を探しちょります。だから、今の評はちょっと厳しい。人であれマンガであれ別れるためには何かがないとね。

「ぼくの地球を守って」(全21巻・日渡早紀著・白泉社)です。これもブームになりましたねえ。前世ブームのさきがけ。かなり危ない思い込みの「前世好き」がはまってました。作者のところにもそういう危ないファンレターがかなり来てたらしいです。

1巻初版が1987年。世紀末がせまってた頃だもんなァ。しかもバブル直前と来た。お金だけはある。でも未来がない。そういう時代。だから「前世」か。

おもしろいと思うし、盛り上げる演出もうまい。だからこそ揃えたし今まで持ってたんだけれど・・・・・・・・

違和感があった。どうしても飲み込めない違和感。その正体が最後の21巻を読んだときにわかったんですわ

・・・・・・・・・・・以下ネタばれ注意。

それはね、前世の月基地で最後に残された紫苑の骸から、植物が生えている「衝撃の描写」といわれたシーン。あそこで謎が解けた。

「これはニセモノだ。ありえない!!」

だってね、「木蓮の植物を成長させる能力=歌」ってのがこの物語の原動力なんだけど、「植物の成長」ってのは「水と光と歌があればOK」ってわけじゃないよ。何百万、何千万、あるいは何億、天文学的な単位の虫だの鳥だの細菌だのウィルスだのの関与があって初めて草一本であれ成長するのよ。ありえないでしょ。そういう関与無しの環境で、いきなし死体から植物が生えてきて、んでそれが永遠に生え続けるなんて。

「植物によって地球を守る」ってのに、その植物がどーーーーも嘘くさい。なんかどれもこれもお部屋の中の観葉植物みたいな。作り物くさいというか。

まあ、鹿児島の田舎の山に住んで、隙あらば侵略してくる獰猛な緑に飲まれそうになってもがいてる人間が感じる違和感なんだけどさ。でも、この感覚はわたくしにとっては一番の芯だからねえ。

あとなあ・・・・・

紫苑と木蓮は月基地で「最後の二人」だったわけでしょ?ほんでもって「もうすぐ死ぬ」ってことがわかってる。なのに?なんで死ぬまで「お互い愛し合っている」ってことがわからなかったの?それを転生して持ち越すほどに執着があったのなら、なんで生きてるうちにちゃんとコミュニケーションをとらなかった?

ダメだよ~。生きてる今をちゃんと大事にしろよー。これを最初に読んだときから20年以上。確実にわたくしも死に近づいています。若いときなら許せた「転生して巡り合ってやりなおして愛し合いましょう。」みたいな逃げが、見過ごせないんだな。

やはり、これは手放そう。

・・・・・・・・ってここまで書いて思った。これって「ごく個人的な『事業仕分け』」なのか?

がびーーーーン!!「もっと冷静に『仕分け』やれやレンポー。下品だぞ」とか毒づいてたのに。人のふり見て我がふり直せ。せめて冷静に仕分けしよう。

2009年12月11日 (金)

美味しんぼ

091211 一世を風靡した「美味しんぼ」(雁屋哲原作・花咲アキラ絵・小学館)でございます。

わたくしが持っているのは78巻まで。今もスピリッツで連載中。いったい何巻までいってるんでしょうか。

「食」が最大のテーマなのは、いわずと知れたことですが、もうひとつの「海原雄山と山岡士郎の親子の確執」ってのがねえ。なんかねえ。おかしかったですねえ。

だってさ、日本国内だろうが、海外だろうが、どこに行ってもこの親子鉢合わせしてんのよ。これほど思考法も行動パターンも似通った父と息子なんて、いまどき珍しいわい。

「究極と至高の食対決」が繰り広げられるたびに「ホント仲いいよなあ、この親子」と思いましたですよ。「一緒の家に住みながら、お互いがまったくの無関心、何年間も会話無し。」とかいう、昨今の「親子の断絶」に比べたら、この二人の関係のなんとホットなことよ。まったく、楽しそうだ。

2009年12月10日 (木)

花のあすか組

091210 そういえば高口里純も「花とゆめ」デビューだったなあ。

高口で好きなのは「伯爵と呼ばれた男」なんだけど、これがいくら探しても出てこないのよ。まいったなあ。

創成期のハリウッドで、三流役者兼ヤクの売人をやってるオスカーが主人公。富と名声の頂点のスターたちは輝く光を浴びながらも、みな濃い影を背負い、ヘロイン漬けになってつかの間の安らぎを得ている・・・・・・・・

高口のロマンティックで舌足らずな語り口と、元ヤンキー丸出しの一種独特の美意識がとてもよくマッチした傑作でした。

よく代表作といわれ、一番ヒットもした「花のあすか組!」(全25巻・角川書店)

今読むとちょっとしんどい。流行りモノを盛んに取り入れてたからでしょうか?20年前のことなのにとても古臭く感じてしまう。なによりかによりさ、主人公たち中学生なんだけどさ、何でこいつらこんなお金もってんのよ?

バブルの時代ってさ、凄かったね。お金余ってたんだね(気のせいだったんだけど)。日本中が金銭感覚おかしくなってたね。って、これ読み返して改めて思った。

2009年12月 8日 (火)

遠藤淑子

091208 1970年代後半から1990年代前半にかけて、「LaLa」と「花とゆめ」に夢中でした。白泉社ですね。

その中にわたくしが勝手に「北海道アマゾネス軍団」と呼んでいた流れがありました。

山岸涼子(「日出る処の天子」は衝撃でした。あれで人生観変わった)、三原順(夭折の天才。「はみだしっ子」「Sons」今読んでもすごい)、佐々木倫子(今でも活躍。「動物のお医者さん」で一世を風靡)、桑田乃利子(「だめっこどうぶつ」がアニメ化されたのには驚いた)、そしてこの遠藤淑子。みんな北海道出身の少女マンガ家です。

なんかねえ、スケールが違うのよ。みんな。ほとんど日本を舞台に描いてるのに、なにげなく描く風景とかがさ。本州とか九州とか出身のマンガ家の描く風景と違うの。大陸的というか。雪とか吹雪とか普通に出てくるし「満州か?」と言いたくなるような。

山岸、三原、佐々木は絵がうまいけれど、桑田、遠藤は絵が下手です。(失礼)。にもかかわらず絵の巧拙なんか吹っ飛ばすような、大陸的なおおらかさがありました。遠藤は自分でも書いてたけど「爆発と説教」がよくでてきました。「ううううん」と唸らされるような、うまくて鋭いキメ台詞を言わせるのが上手。

あまり長い作品はなく、「大ヒット!!」ってのもないけれどしみじみ心に残る話を、淡々と描き続けてましたね。絵が派手でないので、お話もどこか派手さに欠けてたけれど。

たとえば、この「へヴン」「へヴン2」。これ「核戦争後の世界。放射線の後遺症で人々は短命。文明も退化。でも国家間の覇権争いは相変わらずで軍隊は存在。主人公は元軍人で、戦争前に開発された超絶精巧人殺しロボットとつきあいあります。」っていう舞台設定なんだよ。これってさ、樹なつみの「OZ」と基本設定ほとんど一緒でしょ?「OZ」は関西人樹らしくむちゃくちゃ派手に「恋あり、三角関係あり、オカマ言葉のサディストロボットが出てきて、果てはロボットと心中沙汰あり」と演出されてましたけど。

設定一緒で、この地味さ。地味だけどねえ・・・・・・好きなんだよねえ。

こういうマンガを商業誌で連載できたっていうあの時代、やっぱり余裕があったんだよなあ。

2009年12月 7日 (月)

JIN-仁-

Dvc00269  今「JIN-仁-」に夢中。おもしろいなあ。

タイムスリップものって、ホントは苦手なんだけどなあ。ほらよくあるでしょ。「太平洋戦争時代にタイムスリップ!!山本五十六の戦死を阻止して帝国海軍は無敵艦隊。蹴散らすアメリカ。」みたいな。「いつまで死んだ子の年を数えるようなまねしとるんじゃ!」みたいな。

「JIN-仁-」にそんな未練がましさはないな。タイムスリップするのが「自衛隊」とかじゃなく「医者」で、時代が「幕末」だから?坂本龍馬とか勝海舟とか緒方洪庵とか有名どころもわんさかでてくるんだけど、わざとらしくないよね。

「おれは、医学の歴史を変えてしまう。これは許されないことじゃないのか?」と、主人公の南方仁はやたら悩んでます。実際「ありえねーでしょ、この時代に」なペニシリンの精製とか、注射器だの点滴だのアンビューバッグだのの医療器具開発だのやってます。

でも、これが結構おもしろかったりするの。「当時の工業技術レベルで、どこまで精度を上げて開発できるか」ってのをすんごい説得力で表現してるので、「技術大好き」な自分の中のヤマトゴコロをむちゃくちゃ刺激されるの。

あとね、「時代を超えて共通する、医学を頼る人の心」ね。「医者も人、患者も人」ってとことをきっちり抑えてブレが無い。感動するよーーーー!!

どうも、「龍馬暗殺」と南方のタイムスリップとが密接に関係してるらしいんだけど、どうなるんだろうね、これ。安易に幕末史を変えちゃうとつまらなくなるけど、そんな興ざめなことはなさそうだし。とっても楽しみ。

あと、橘咲の綾瀬はるかと、野風花魁の中谷美紀が、とおおってもいいです。

2009年12月 5日 (土)

泣かせちゃった

Dvc00278 大人の女の人を泣かせちゃいました。

まあ、4歳年下ですけど。

たいへんな苦労人で、今にもはじけそうにパンパンに張り詰めて、見てられなくて、「これ言ったら泣くだろうな」という言葉を言わずにはおれませんでした。

「誰にも言えなかった・・・・・・・だけど春さんには言っちゃった・・・・・」

子供みたいに泣きじゃくられてしまいました。

うううううううむ。これは逃げることができんのう。

2009年12月 3日 (木)

アンズの横顔

Dvc00277 アンズ、自分のために小屋を作ってもらえたのがうれしくてしょうがないらしく、今まで以上に甘えてきます。

わたくしの顔を見るたび「ころん、ころん」と寝転がって腹を見せます。わかったっちゅうの

モモとアンズとお散歩をしていたら「大きくなったが~~」とみんなから言われます。「大人になっておりこうさんになったがァ」

へへへ、そうかな。(←飼い主馬鹿)

無駄吠えもほとんどしなくなり、「おすわり、伏せ、待て、来い、」だいぶできるようになってきた、かな?

まだ気まぐれに脱走したりするけどね。